液中の小さな粒子を追うと、右へ進んだかと思えば左へ戻り、動く向きが定まりません。このブラウン運動を調べるとき、「平均するとどれだけ動いたか」だけでは広がりを捉えられません。右向きと左向きの変位が打ち消し合うためです。
そこで使うのが、平均二乗変位(MSD: mean square displacement)です。出発点からの変位を二乗してから平均し、粒子の集団がどれほど広がったかを表します。ここでは左右に動く簡単なモデルで意味を確かめ、拡散係数へ換算するときに必要な条件を整理します。[1]
簡単にまとめると?
- 平均変位がゼロでも、粒子が動いていないとは限りません。MSDは変位の二乗を平均するため、左右の動きが打ち消されません。
- 向きに偏りのない通常の拡散では、MSDは時間に比例します。その平方根で表す広がりは、時間の平方根に比例します。
- MSDの傾きから拡散係数を求めるには、観測の次元、流れの有無、時間範囲を確認します。どの曲線にも一本の直線を当てはめればよいわけではありません。
「平均してから二乗」と「二乗してから平均」を分ける
一次元で、出発点からの変位を Δx と書きます。右向きを正、左向きを負とすると、平均変位は〈Δx〉、平均二乗変位は〈(Δx)²〉です。山括弧は、同じ経過時間で得た多数の結果の平均を表します。
例えば、2個の粒子がそれぞれ右へ2 µm、左へ2 µm移ったとします。平均変位は (2−2)/2 = 0 µmですが、MSDは (2²+(−2)²)/2 = 4 µm²です。平均変位を先に二乗した0 µm²とは違います。この数値は考え方を示す例で、測定結果ではありません。
MSDの単位は長さの二乗です。平方根を取った二乗平均平方根(RMS)なら長さに戻せるので、この例では2 µmとなります。ただし、RMSは各粒子が実際に通った道の長さでも、全粒子が必ず到達する距離でもありません。
歩数が4倍でも、広がりは2倍になる
次に、1回ごとに右へ1または左へ1を等確率で選び、毎回の選択は独立、とするランダムウォークを考えます。MITの講義資料でも、コイン投げによる左右の歩みが説明に使われています。[2]
n回後の変位は、各回の±1を足したものです。平均はゼロです。一方、和を二乗すると各歩の二乗と、異なる歩を掛けた項が現れます。各歩の二乗は1、異なる歩の積は独立で偏りがないため平均ゼロとなり、MSDはnになります。したがってRMSは√nです。
| 歩数 | 平均変位 | MSD | RMS |
|---|---|---|---|
| 4 | 0 | 4 | 2 |
| 16 | 0 | 16 | 4 |
| 64 | 0 | 64 | 8 |
4歩から16歩へ増やすと、通った道の長さは4倍ですが、RMSは2倍です。前進した分の一部を後退が打ち消すため、一定方向へ進み続ける場合ほど出発点から離れません。これは個々の軌跡の予言ではなく、全ての歩き方を確率で重み付けした結果です。

拡散係数は、MSDの増え方に対応する
実際のブラウン粒子について、慣性の影響が十分小さく、境界の拘束や流れを無視でき、拡散係数Dが一定とみなせる時間範囲を考えます。一次元の通常拡散では MSD = 2Dt です。Dの単位は m²/sなどで、一定の速さを表すm/sとは違います。MITの資料は、短時間の運動と長時間の拡散を分けてこの関係を説明しています。[1、pp.16–17]
同じ拡散係数を持つ方向が独立で、等方的なら、二次元ではxとyの二乗変位を足すので4Dt、三次元では6Dtです。まとめると、観測する次元をdとしてMSD = 2dDtとなります。GROMACSの公式資料も、三次元の自己拡散係数とMSDの関係、および一次元・二次元での解析を示しています。[3]
例えば、二次元の位置追跡でMSDの直線部分の傾きが0.8 µm²/sなら、D = 0.8/4 = 0.2 µm²/sです。三次元の係数6で割ると約0.133 µm²/sとなり、別の値になってしまいます。これは仮想データの換算例です。画像上のx・yだけを使ったのか、奥行きも含めたのかを確認してから比較します。
流れや時間範囲が違うと、傾きの意味も変わる
流れに乗った粒子では、拡散による広がりに、全体が移動する成分が重なります。一次元で一定速度vの移動と通常拡散が独立に重なるモデルなら、出発点からのMSDは 2Dt+(vt)² です。後半の項も含めた傾きを全て拡散に割り当てると、Dを大きく見積もります。
この違いは、分散の恒等式〈(Δx)²〉 = 〈(Δx−〈Δx〉)²〉+〈Δx〉²から確かめられます。例えばD = 0.5、v = 0.5の任意単位モデルでは、t = 4のMSDは8ですが、平均の移動を除いた分散は4です。t = 16ではMSDが80、分散が16になります。同じ粒子のデータでも、集団の中心からの広がりと、元の出発点からの変位を分けて読む必要があります。
また、ごく短時間では粒子の速度が持続し、MSDが時間の二乗に近い増え方をする領域があります。閉じ込められた粒子や強い相互作用を持つ系でも、単純な直線関係を使えない場合があります。MSDが曲がったときは、すぐに新しいDを一つ決めるより、直線として扱う時間範囲と、その範囲を選んだ理由を確かめます。[1、pp.15–17]
材料や条件の違いを比べる際は、位置の次元、観測間隔と解析時間、平均を作った粒子数・軌跡数、流れの扱いをそろえます。有限のデータにはばらつきがあるので、MSDの曲線とともに、傾きを求めた区間や不確かさも示すと比較しやすくなります。MSDは、単に「たくさん動いたか」を測る数字ではなく、どの時間と空間の範囲で、どのように広がったかを読み解く入口です。
参考資料
- MIT 5.72, Chapter 1: Stochastic Processes and Brownian Motion。2012年講義サイト所収。PDFの版表示は「5.72, Spring 2008, J. Cao」。ランダムウォークはpp.10–11、Langevin方程式とMSDはpp.15–17。
- Sang-Gook Kim, MIT 2.76/2.760, Lecture 15、Fall 2004。PDFの10–12ページ、Diffusion / Random Walk。
- GROMACS 2023.3 documentation: Mean Square Displacement。自己拡散係数の式と観測次元を参照。特定のソフトウェア版の説明資料であり、本記事で実測やソフトウェア実行を行ったものではない。
