光には、物を温める働きがあるように見えます。それでも、周波数を選んだレーザーを原子に当てると、原子の不規則な動きを小さくし、非常に低い温度に近づけられます。ここで冷やしているのは、原子の内部を構成する電子そのものではなく、原子が空間を動き回る運動です。
その基本となるドップラー冷却では、動く原子から見た光の周波数の変化を利用します。なぜ減速する向きの力が生まれるのか、なぜ光を当て続けても動きが完全には止まらないのか。1988年のナトリウム原子の実験も手がかりに、仕組みと温度測定の見方をたどります。
簡単にまとめると?
- 原子が吸収しやすい周波数より少し低い光を両側から当てると、動きに逆らう側の光を吸収しやすくなり、平均として減速します。
- 一方、光子を吸収・放出するたびに小さな反動も受けます。減速と不規則な運動の増加が釣り合うため、単純なドップラー冷却のモデルには温度の下限があります。
- その下限は、モデルの条件に基づく値です。1988年にはナトリウム原子で下限を下回る温度が観測され、原子の内部状態や光の偏光まで考える必要性が浮かび上がりました。
動く原子には、向かってくる光が高い周波数に見える
原子は、どんな色の光でも同じように吸収するわけではありません。内部の二つの状態のエネルギー差に対応する、特定の周波数付近の光を吸収しやすくなります。この吸収しやすい周波数が共鳴周波数です。
まず、原子が右へ動いている場面を考えます。右側から左向きに進んでくる光は、原子にとって向かい風のような向きです。原子から見ると、この光の周波数は高くなります。反対に、左側から追いかけてくる光の周波数は低くなります。これが光のドップラー効果です。
そこで、静止した原子の共鳴周波数より、レーザーの周波数を少し低くしておきます。この設定を赤方離調と呼びます。「赤方」は必ず赤色の光を使うという意味ではなく、共鳴に対して周波数を低くする、という意味です。
原子の速度が適切な範囲にあれば、向かってくる光はドップラー効果によって共鳴に近づき、追いかける光は共鳴から遠ざかります。原子は前者を多く吸収し、光が進む左向きの運動量を受け取ります。その結果、右向きの運動が抑えられます。原子が左へ動けば、左右の役割が入れ替わります。
小さな速度の範囲では、この平均的な力を速度に比例する抵抗として近似できます。速く動くほど強く抵抗される、粘りのある液体の中のような振る舞いです。三方向に向かい合う光を配置した系が「光モラセス」と呼ばれるのは、このためです。
減速させる光が、同時に揺らぎも生む
平均の力だけを見れば、原子はやがて止まりそうです。しかし、光と原子のやり取りは、滑らかな連続動作ではありません。原子は光子を一つずつ吸収し、励起された状態から光子を放出します。そのたびに、小さな反動を受けます。
自発放出では、どの向きに光子が飛ぶかが毎回変わります。多数の出来事を平均した反動がゼロでも、一個ずつの原子には不規則な速度の変化が残ります。吸収の回数やタイミングにも揺らぎがあります。こうして運動量の分布が広がることを、運動量拡散と呼びます。
ドップラー冷却の温度は、速度を抑える働きと、この拡散との釣り合いで決まります。原子の集団が同じ向きに流れる速さを小さくすることと、集団の中での不規則な速度の広がりを小さくすることは別です。冷却で注目するのは後者です。
この違いは、冷却と閉じ込めを区別するうえでも大切です。理想的な光モラセスの抵抗は、動きに逆らって働きます。中心からずれた原子を中心へ引き戻す力とは異なるため、動きを遅くできても、それだけで原子を一定の場所に保てるとは限りません。
ドップラー限界は、どの条件から出てくるのか
原子を二つの内部状態で近似し、光が弱い場合の単純なモデルでは、レーザーの離調を調整したときの最低温度は、次の式で表されます。
TD = ℏΓ / (2kB)
ℏは換算プランク定数、kBはボルツマン定数です。Γは光を吸収する遷移の自然幅を、角周波数で表したものです。励起状態の寿命が有限なので、原子が応答する周波数にも幅があります。この幅が温度の尺度に結び付いています。
たとえば1988年の論文が扱うナトリウムのD線では、Γ = 2π × 10 MHzとすると、TDは約240 µKです。1 µKは100万分の1 Kなので、これは絶対温度で約0.00024 Kに相当します。式へ代入するときは、10 MHzそのものと、2πを掛けた角周波数の幅を取り違えないことが必要です。
このモデルで最低温度になるのは、レーザーの角周波数を共鳴よりΓ/2だけ低くしたときです。ただし、光を弱くするほど、また周波数を低くするほど、際限なく冷えるという意味ではありません。どちらも原子が光を散乱する頻度や速度に対する力の変化を変えるため、減速と拡散を合わせて考える必要があります。
温度計の代わりに、原子が届く時刻を見る
このような温度は、普通の温度計を差し込んで測るわけではありません。Lett、Phillipsらによる1988年の実験では、冷却光を消した後の原子の動きを観測しました。その一つが、飛行時間法、TOFです。
冷却されていた原子の雲の下に、検出用の光を置きます。冷却光を消すと、原子はもともと持っていた速度と重力に従って移動します。検出光の領域に来た原子が発する蛍光を時刻ごとに記録すれば、どの時間帯に多くの原子が到着したかが分かります。
原子が最初から持っていた速度の分布が違えば、この到着時刻の分布も変わります。計算では初期の速度を三次元のマクスウェル・ボルツマン分布で表すと仮定し、測定した原子雲の広がり、重力、光の強度分布、検出領域の形も考慮しています。その計算と測定結果を比べ、温度を求めています。単に「落下するのが遅いから低温」と判定しているわけではありません。

上の図は、原子雲と検出領域の中心を1.1 cm離し、40回の測定を平均したものです。測定点は、温度を40 µKとした計算曲線に近い形をしています。一方、240 µKとした曲線では、ピークが早い時刻に現れ、後方へ長く広がっています。比較しているのは信号の大きさだけでなく、時間に対する形です。
ここで、図に示した40 µKの計算と、論文全体で報告された最低温度43 ± 20 µKは、同じ数字の別表記ではありません。後者は複数の測定のばらつきや、装置の幾何学的条件、計算に伴う不確かさを含めた評価です。±20 µKは1標準偏差として報告されています。
さらに研究者らは、上方へ届く原子、下方へ落ちる間の横方向の広がり、光を消した後に再び捕らえられる原子の割合も調べました。異なる動きや観測量を使うことで、一つの測定手法だけが低い温度を示している可能性を確かめています。いずれも、冷却光から解放された原子の運動を測っている点には留意が必要です。
下限を下回ったときに、見直すべき前提
43 ± 20 µKという結果は、単純なモデルのドップラー限界240 µKを下回っています。これは、原子の運動や温度の考え方が無効になったという意味ではありません。下限を計算するときに、どの効果を取り入れ、どの効果を省いていたかが問われます。
1988年の論文は、結果をまだ説明できていないと明記したうえで、二状態・弱い光という近似や、三次元の偏光を扱っていない点などを挙げています。実験では磁場や偏光の設定によって温度が変わっており、原子を単純な二状態として扱うだけでは足りない可能性がありました。この時点の報告を、後の冷却機構まで解明済みの論文として読むことはできません。
冷却方式を比べるときは、まず原子と遷移、光の強さ、離調、偏光、磁場の条件をそろえて見ます。そのうえで、温度がどの運動から推定され、初期の雲の形や重力がどう扱われたかを確認します。「限界より低い」という結果は、数値の驚きだけでなく、モデルの前提と測定の両方を読み直す入口になります。
出典
- P. D. Lett et al., Observation of Atoms Laser Cooled below the Doppler Limit, Physical Review Letters 61, 169–172 (1988). 温度式、ナトリウムの条件、四つの測定法、図1および当時の解釈。
- William D. Phillips, Laser cooling and trapping of neutral atoms, Nobel Lecture (1997), printed pp.215–220. ドップラー冷却、光モラセスと温度測定の説明。
- NIST, Context of Discovery: Bill Phillips. 研究の背景。原論文と同じ研究を振り返る解説であり、独立した再現実験の報告ではありません。
