二人がそれぞれ量子状態の半分を持ち、測定結果を何度でも教え合える。それでも取り出しにくい情報が、両方の量子系をまとめて測ると読めることがあります。この「使える操作による差」を利用するのが、量子データ秘匿です。
慶熙大学のDonghoon Ha氏とJeong San Kim氏は、量子もつれを持たない分離可能な2量子ビット状態を繰り返し使い、1ビットの情報を隠す理論方式を示しました。論文「Quantum data hiding with two-qubit separable states」の初稿は2025年12月17日。ここでは2026年11月3日に改訂されたv2を参照します。2量子ビットだけで完全に情報が隠れるという話ではなく、小さな状態を何組も使う構成です。
簡単にまとめると?
- 二人が各自の量子系だけを操作し、古典的なメッセージを交換するLOCCでは、隠したビットを当てる成功確率を、組数の増加とともに1/2へ近づけられます。
- 材料となるのは、互いに直交する二つの分離可能な混合状態。状態に量子もつれがなくても、共同測定との違いは残ります。
- 共同測定を認める理想的な模型では、有限の組数でもビットを完全に取り出せます。必要組数や実験上の誤りまで解決した研究ではありません。
メッセージを交換できても、同じ測定ができるとは限らない
LOCCは、Local Operations and Classical Communication、局所操作と古典通信の略です。アリスとボブは自分の手元の量子系を操作し、その結果に応じた古典情報をやり取りできます。ただし、二人の量子系をつなぐ共同操作までは使えません。
これは、単に「二人が一切相談しない」という制限より強い問いです。また、各組を一回ずつ測る方式だけに相手を限定するわけでもありません。それぞれの手元で複数の量子系をまとめて扱い、古典通信を組み合わせるLOCC全体に対し、どれだけ情報を隠せるかを評価します。
一方、制限のない共同測定では、アリス側とボブ側を合わせた状態を測れます。二つの状態が直交していれば、理想的には誤りなく区別する測定があります。論文は、この「全体なら区別できる」と「LOCCでは区別しにくい」の差を、ビットの秘匿に結び付けています。
もつれのない状態にも、全体を測る利点がある
分離可能な状態とは、二人それぞれの状態を組み合わせた積状態を、確率的に混ぜて作れる状態です。量子もつれはありませんが、二人の間の相関までないとは限りません。
論文の例を、角度θ=π/4の場合で見てみます。|+⟩と|−⟩は、|0⟩と|1⟩を等しい大きさで重ね合わせ、相対的な符号を変えた状態です。送り手は、次の二つの混合状態をそれぞれ確率1/2で選びます。
- 状態ρ₀:|0⟩と|+⟩を二人に配る場合と、その担当を入れ替えた場合を、半々で混ぜる。
- 状態ρ₁:二人とも|1⟩の場合と、二人とも|−⟩の場合を、半々で混ぜる。
どの成分も積状態なので、ρ₀もρ₁も分離可能です。それでいて、ρ₀に含まれる成分とρ₁に含まれる成分は互いに直交し、二つの混合状態の支持空間も重なりません。共同測定なら区別できますが、そのために必要な測定をLOCCで実現できるとは限らないのです。
「量子もつれがない」ことと、「古典的な情報交換だけで、全体の測定と同じ情報を得られる」ことは別です。この研究が小さな分離可能状態で具体化しているのは、その違いです。
隠すのは各組のラベルではなく、その偶奇
送り手はρ₀かρ₁を独立に選んで配る操作をL回繰り返します。選んだ状態のラベルをb₁、b₂、…、bLとし、すべてを排他的論理和で足したビットをyとします。これは、ラベル1の個数が偶数なら0、奇数なら1になる「偶奇」です。
隠したいビットをxとすると、送り手が公開する古典情報はz=x⊕y。たとえばx=1、ラベル列が(1, 0, 1)ならy=0、公開するzは1です。受け手がxを知るには、公開されたzに加えて、量子状態に埋め込まれた偶奇yを知る必要があります。
各組のラベルを一部推測できることと、長い列全体の偶奇を正しく知ることは同じではありません。論文は、条件を満たす二状態の組を使えば、Lを増やすにつれてLOCCによるビットの最適な正答確率が1/2に近づくと示します。先ほどの等確率の例では、1/2はランダムに答える水準です。
共同測定ができれば事情が変わります。各組のρ₀とρ₁は直交しているので、理想条件ではラベルを完全に区別でき、偶奇からxも復元できます。この復元の完全性は、Lを無限大にすることを必要としません。
「指数的に隠れる」と「少ない組数で十分」は別
LOCCの最適化は難しいため、論文はそれを含む、より広いPPT測定の集合で正答確率を上から抑えます。PPTは部分転置が正であることを表す数学的な条件です。PPT測定でさえ正答確率が1/2へ近づくなら、その一部であるLOCCでも同じ結論が従います。
論文の例では、状態を決める角度θから計算する量q=4f₀(θ)f₁(θ)が1未満になると、十分条件が成立します。図の縦軸はこのqであり、測定の成功確率そのものではありません。

θ=π/4ではqは約0.998301です。論文の式(42)が与える正答確率の上限は、1/2+(1/2)q(L−1)/4。この式を計算すると、次の値になります。
| 状態の組数L | 配る量子ビットの総数 | 正答確率の上限 |
|---|---|---|
| 100組 | 200 | 約97.9% |
| 1,000組 | 2,000 | 約82.7% |
| 10,000組 | 20,000 | 約50.7% |
これは実験値でも、最適なLOCC測定を見つけて得た正確な成功確率でもありません。論文の上限式をそのまま評価した値なので、実際の最適正答確率は、もっと低い可能性があります。同じ式だけで51%以下を保証するには、このθの例で9,204組あれば足りますが、これを必要最小組数とは呼べません。
小さい状態を材料にできる点は、資源を考えるうえで意味があります。ただし、1組が2量子ビットであることと、方式全体が2量子ビットで済むことは別です。qが1に近い場合には、指数的な収束を証明できても、上限をランダム推測の水準まで下げるための組数は大きくなります。
証明が示した範囲と、実装に残る問い
この方式は、受け手に許す操作の範囲を前提にしたデータ秘匿です。計算量の大きさを根拠とする通常の暗号と、そのまま同じ安全性を主張するものではありません。共同測定を認めれば情報を取り出せることは、方式の意図に含まれています。
論文は状態の識別と秘匿の十分条件を与えていますが、通信損失、状態準備の誤差、記憶中の雑音を含めて実機で性能を検証したものではありません。また、局所的に区別しにくい直交状態なら必ずデータ秘匿へ使えるのか、という一般的な問いは残ります。
量子情報の利点を考えるとき、状態がもつれているかだけでなく、どんな測定を二人に許すかを見る必要があります。分離可能な小さな状態を出発点に、その操作の差を多数の組の偶奇へ積み重ねたところに、この研究の特徴があります。
参考資料
- Donghoon Ha, Jeong San Kim, Quantum data hiding with two-qubit separable states, arXiv:2512.15095v2。初稿2025年12月17日、v2改訂2026年11月3日。第II節、定理1、第III節の例1・式(33)~(43)、図1、第IV節、付録A。原論文PDF。
