タグ: ラマン散乱

  • 分解サイドバンド冷却で、イオンの振動を一段ずつ減らす

    分解サイドバンド冷却で、イオンの振動を一段ずつ減らす

    電場の中に閉じ込めたイオンを、光で冷やす。十分に冷えてくると、運動は「速さが少しずつ下がる」という描き方だけでは捉えにくくなります。閉じ込められたイオンの振動には、飛び飛びのエネルギーの段があるからです。

    その段を光の周波数で選び、一段ずつ下げる方法が分解サイドバンド冷却です。ここでは、2本の光を使うラマン遷移によって振動を減らす仕組みと、冷却が進んだことをスペクトルから読む方法を見ていきます。

    簡単にまとめると?

    • 赤側サイドバンドに光の周波数差を合わせると、イオンの内部状態を変えながら振動量子を一つ減らせます。
    • 冷却を続けるには、光を散乱させて内部状態を戻す過程も必要です。往復できるラマン遷移だけでは、同じように冷え続けません。
    • 赤側と青側の応答の違いが、残っている振動の手がかりになります。最も低い基底状態にも零点エネルギーは残ります。

    振動の段と、イオン内部の状態を分ける

    イオンを閉じ込める電場が、平衡位置の近くでばねのように働くとします。この調和振動子という近似では、振動のエネルギーは En = ℏωt(n + 1/2) で表されます。ωt は閉じ込められた方向の振動角周波数、ℏはプランク定数を2πで割ったものです。n は0、1、2……という振動量子数で、一段分のエネルギーは ℏωt です。

    これとは別に、イオンには電子や核の角運動量に由来する内部状態があります。二つの内部状態を A と B と呼ぶと、光によって A から B へ移す際に、振動の段を変えない遷移と、同時に一段変える遷移を選べます。

    振動量子数 n を保つ遷移がキャリア、n を一つ減らす遷移が赤側サイドバンド、一つ増やす遷移が青側サイドバンドです。内部状態のエネルギー差を埋めるだけの光と比べ、赤側では振動からもエネルギーを受け取るため、光が与える分を少なくできます。

    ラマン遷移で一段下げ、光ポンピングで戻す

    ラマン方式では、異なる周波数の2本の光を組み合わせます。一方から光子を吸収し、もう一方へ誘導放出する過程によって、二つの内部状態を結びます。共鳴条件を決めるのは、主に2本の光の周波数差です。内部状態間の角周波数差を ω0 とすれば、赤側の条件は ω0 − ωt となります。「赤側」はこの共鳴より低い側を指し、目に見える赤色の光を使うという意味ではありません。

    赤側に合わせたパルスを当てると、状態は A・n から B・n−1 へ移ります。ただし、これは位相を保ったコヒーレントな操作で、条件を整えれば逆向きにも戻せます。そのまま同じ二つの状態の間を往復するだけでは、振動を次々に減らせません。

    そこで、別の光による光ポンピングを挟みます。励起と自然放出を通じて内部状態を A に戻し、次の赤側パルスを受けられるようにします。放出光が外へ出ていくことで、内部状態のリセットを伴う不可逆なサイクルになります。

    このとき、光子を放出した反動で振動が増えすぎると、せっかく下げた一段が失われます。イオンの位置の広がりが、光との相互作用の空間的な尺度に比べて十分小さいラム・ディッケ領域では、リセット中に振動量子数が変わりにくくなります。A・n → B・n−1 → A・n−1 というサイクルを繰り返し、基底状態 n=0 に近づけます。

    n=0 には、それより下の n=−1 はありません。理想的な赤側遷移に対して基底状態が応答しにくくなることも、低い段へ集める助けになります。

    冷却の前後で、赤側と青側はどう変わるか

    1995年、NISTとコネチカット大学の研究者による単一のベリリウムイオン(9Be+)の実験では、ドップラー冷却で予備冷却した後に、分解サイドバンドのラマン冷却を加えています。次の図は、その前後で測った一方向のラマン応答です。[1]

    単一ベリリウムイオンのラマン応答。横軸はMHz単位の離調で中央を省略。約マイナス11.2MHzの赤側ピークは追加冷却後の白抜き点で小さくなり、約プラス11.2MHzの青側ピークは大きくなる。黒い点は予備冷却のみ。
    図1:予備冷却のみの黒い点と、x方向にラマン冷却を5サイクル加えた白抜き点。縦軸は検出から求めた内部状態の確率です。中央の横軸は省略されているため、全域が連続した周波数表示ではありません。C. Monroe et al., “Resolved-Sideband Raman Cooling of a Bound Atom to the 3D Zero-Point Energy”, Physical Review Letters 75, 4011–4014 (1995), Fig. 2, p.4013より図部分を抜粋。© 1995 The American Physical Society。原論文PDF

    左側の約−11.2 MHzが赤側、右側の約+11.2 MHzが青側です。冷却後は赤側の山が小さくなり、青側の山が大きくなっています。既に n=0 にいるイオンは赤側でさらに一段下がれませんが、青側なら n=1 へ上がれるため、左右の応答に差が現れます。

    振動量子数が熱分布に従い、赤側と青側を同じ結合強度・対応するプローブ条件で測る場合、応答の比 r = Ired/Iblue は、平均振動量子数 n̄ を使って r = n̄/(1+n̄) と表せます。測定から n̄ = r/(1−r) を求められますが、熱分布でない状態や左右で異なる測定条件に、そのまま当てはめる式ではありません。

    例えば、熱分布を仮定した説明用の例で n̄=0.1 なら、赤側の応答は青側の約0.091倍になります。この分布で基底状態にいる確率は 1/(1+n̄) なので、約91%です。平均が0.1という数字は、毎回「0.1個の振動量子」があるという意味ではなく、整数の振動量子数を持つ状態の分布を平均した値です。

    原論文は、特定の実験条件で一方向の基底状態占有率を約98%、三方向すべての基底状態にいる確率を約92%と報告しました。一方向だけよく冷えても、残りの方向に振動があれば三次元の基底状態にはなりません。この二つの数字は1995年の実証結果であり、現在のあらゆるイオントラップに共通する性能値ではありません。[1]

    周波数を選び分けることと、加熱を抑えること

    「分解」とは、キャリアとサイドバンドを周波数の違いとして見分けられることです。遷移の線幅が振動周波数に比べて広すぎると、減らしたい遷移だけを選べません。狭いラマン遷移を使うこと、光の周波数差を安定させること、振動方向に結合する光の配置を選ぶことが、冷却サイクルの前提になります。

    実際には、共鳴から外れた遷移や光の散乱による加熱、装置に由来する加熱もあります。パルスを増やせば際限なく冷えるわけではなく、冷却で取り去る分と再び入ってくる分の釣り合いが残ります。原論文でも、サイクル数を増やしたときの限界と、冷却後に時間を置くと振動が増える現象を調べています。[1]

    ドップラー冷却は、この細かな段を選ぶ前の予備冷却として役立ちます。速さに応じた光の力で先に冷やし、次に閉じ込められた振動の量子を選んで減らす、という役割分担です。

    最後に残る n=0 のエネルギーは ℏωt/2 です。基底状態への冷却は、粒子を古典的な点として完全に静止させる操作ではありません。振動の余分な励起を減らし、量子状態を扱う実験の出発点をそろえる操作です。

    出典

    1. C. Monroe, D. M. Meekhof, B. E. King, S. R. Jefferts, W. M. Itano, D. J. Wineland and P. Gould, “Resolved-Sideband Raman Cooling of a Bound Atom to the 3D Zero-Point Energy”, Physical Review Letters 75, 4011–4014 (1995). NIST公開PDF。仕組み、測定条件、図2と当時の実験結果を参照。
  • ラマン側帯比で温度を測る、膜の揺れと装置の温度の読み分け

    ラマン側帯比で温度を測る、膜の揺れと装置の温度の読み分け

    薄い膜の揺れを光で冷やしたとき、十分に静かになったかをどう確かめるのでしょうか。散乱した光を周波数ごとに分けると、入射光の両側に小さな山が現れます。その二つの山の比には、膜の振動にどれだけエネルギーが残っているかが表れます。

    この違いを使うのが、ラマン側帯比による温度測定です。JILA・コロラド大学・NISTの研究グループは、窒化シリコンの膜を光共振器に入れ、光で冷却した振動の状態と、装置の物理的な温度を調べました。2014年に公開された原稿をもとに、二つの温度を読み分ける仕組みを見ていきます。[1、2]

    簡単にまとめると?

    • 光が振動へエネルギーを渡すストークス散乱と、振動から受け取る反ストークス散乱。その起こりやすさの比から、振動の平均励起数を求めます。
    • 光で冷やした一つの振動モードの有効温度と、膜を取り囲む装置の温度は区別が必要です。装置の温度を求めるには、冷却の強さを変えた測定と外挿を使います。
    • 比を使うことで不要になる校正はありますが、検出系の周波数応答や振動の減衰、測定光の影響まで無視できるわけではありません。

    光が受け取るエネルギーと、渡すエネルギー

    光が物質とやり取りして、入射時とは違う周波数で散乱される現象をラマン散乱と呼びます。ここでは、太鼓の皮のように張った膜の振動と光がエネルギーを交換します。膜には幾つかの揺れ方があり、その一つ一つを振動モードと呼びます。

    ストークス散乱では、光がエネルギーを失い、その分だけ振動の励起が一つ増えます。出てくる光の周波数は入射光より低くなります。反ストークス散乱では逆に、光が振動の励起を一つ受け取り、より高い周波数で出ていきます。振動の周波数に対応する間隔で光の両側に現れる成分が、ここでいう側帯です。[1、p.1]

    振動が最も低いエネルギーの状態にあれば、それより下へ励起を減らすことはできません。反ストークス散乱は抑えられますが、励起を一つ作るストークス散乱は起こり得ます。この違いが、冷えた振動ほど二つの側帯の差が目立つ理由です。

    二つの山の比から、残っている振動を数える

    熱的な占有分布を持つ振動モードについて、ストークス側帯を反ストークス側帯で割った比をR、平均励起数をn̄とすると、研究で使われた関係は次のように書けます。[1、p.1]

    R = (n̄ + 1) / n̄、したがって n̄ = 1 / (R − 1)

    n̄は、振動のエネルギーを量子一個分ずつで数えたときの平均です。いつも整数になる必要はありません。たとえば、同じ検出条件で補正済みの比が1.5なら、n̄は2となります。比が1.1なら10、1.01なら100です。これらは式の説明用に計算した値で、測定データではありません。

    表1 同じ振動モードに対する理想化した計算例。比が1に近いほど、小さな測定差が励起数へ大きく響きます。
    ストークス/反ストークスの比 R 平均励起数 n̄ 読み取りの意味
    1.50 2 二つの側帯の差が比較的大きい
    1.10 10 差は小さくなる
    1.01 100 ほぼ等しい側帯の微小な差を測る

    この関係を実測に当てはめるには、共振器と検出系が二つの側帯をどう通すかが分かっている必要があります。論文の基本式は、測定用レーザーを光共振器の共鳴に合わせ、光共振器の線幅が振動の線幅より十分に広い条件で示されています。任意の二つの山の高さを、そのまま割れば温度になるわけではありません。

    温度への換算には、振動一個分のエネルギーも必要です。振動周波数をf、プランク定数をh、ボルツマン定数をkBとすると、熱的な状態ではT = hf / (kB ln R)です。同じ比でも、周波数が違えば対応する温度は変わります。

    光で冷やした「揺れ」と、装置全体の温度

    研究では、膜を二枚の鏡で挟んだ光共振器を使います。膜の変位が共振条件を変えるため、光を通じて小さな振動を読み取れます。測定する光とは別に、共振より低い周波数へ調整した冷却用の光も入れます。こちらでは反ストークス散乱が強まり、出ていく光が振動のエネルギーを運び去ります。[1、pp.2–3]

    一つの試料は一辺500 µm、厚さ40 nmの膜で、1.509 MHzの振動モードを測定しています。このモードを冷却した状態では、平均励起数が約2、有効温度が約150 µKという結果が示されました。150 µKは、光で冷却した特定の揺れ方に対応する温度です。膜の全ての自由度や冷却装置全体が、その温度になったという意味ではありません。

    装置の物理的な温度を求める測定には、別の試料を使っています。一辺375 µm、厚さ100 nmの膜で、主な対象は2.637 MHzのモードです。支持部には、特定の振動が伝わりにくい帯域を作るフォノニック結晶を設け、支持部の振動が測定へ混ざる影響を小さくしています。二つの試料の寸法や最低温度を、一つの装置の性能としてまとめないことが大切です。

    冷却を弱めた先へ外挿し、別の温度計と比べる

    光で冷やす前のモードでは、二つの側帯がほとんど等しく、非対称性は約10−4と小さくなります。そこで研究では、冷却光の強さを変え、側帯の比と振動の減衰がどう変わるかを測っています。その傾向から、光による冷却がない場合へ外挿し、装置の温度を求めます。これには、膜がもともと持つ減衰の大きさも必要です。[1、p.3]

    図1では、横軸に冷却装置へ取り付けたシリコンダイオード温度計の値、縦軸にラマン側帯比から求めた値を取っています。破線は二つが一致する位置です。茶色の四角は主に用いた(3,2)モード、緑のひし形は確認に使った(5,2)モードで、かっこ内の数字は膜の二方向に並ぶ振動の腹の数を表します。緑の誤差棒が大きいことからも、どの揺れ方を測るかで測定のばらつきが変わると分かります。

    横軸はシリコンダイオード温度計、縦軸はラマン側帯比から求めた装置温度で、単位はいずれもK。茶色の四角と緑のひし形が一致を示す破線の近くに並び、緑の縦の誤差棒が大きい。
    図1 Purdyほか「Optomechanical Raman-Ratio Thermometry」、arXiv:1406.7247v1、p.4、図4(c)を引用(図4から(c)を抜粋、軸・点・誤差棒は変更なし)。縦の誤差棒は推定された統計的標準偏差。横はダイオード温度計の精度と測定中の温度変動等を組み合わせたものです。[1]画像を開くと拡大できます。

    4.8〜50 Kの測定範囲で、主なモードの結果は従来の温度計と統計的不確かさの範囲で一致し、平均のずれは10%未満と報告されています。これは、この試料と測定条件での比較結果です。任意の試料や温度範囲で「誤差10%以内」を保証する値ではありません。[1、p.3]

    「比を使う」ことで省ける測定、残る測定

    この方法では、光と振動の結合の強さ、モードの有効質量、検出効率などを一つずつ高精度に求めなくても、側帯の比から占有数を読み取れる利点があります。一方、装置温度への外挿には固有の減衰率が必要で、検出系の周波数応答にも補正が行われています。「自己校正」という表現を、全ての補正や別測定が不要という意味で受け取らないことが大切です。[1、pp.3–4]

    さらに、支持部の振動が側帯に重なったり、測定光の強さのゆらぎが膜を押したりすると、読み取る比が変わります。論文は、光吸収による加熱、レーザーの雑音、共鳴からのずれ、近くにある別モードの影響も調べています。測定光は、観測すると同時に振動へ影響を与える存在でもあります。

    ラマン側帯比の結果を読むときは、まず「光で冷やした一つのモード」を測っているのか、「冷却前へ戻した装置温度」を求めているのかを分けると見通しがよくなります。そのうえで、周波数、検出系の補正、減衰の測定、混ざり込む別の振動を確かめます。二つの小さな山の差を温度へ結びつけるには、何のエネルギーを数えているのかが出発点になります。

    参考資料

    1. [1]T. P. Purdyほか、Optomechanical Raman-Ratio Thermometry、arXiv:1406.7247v1(2014年6月27日提出、PDF表記は6月30日)。本文の測定条件・式と図1の出典。原稿PDF、pp.1–5、図1〜4。
    2. [2]同研究の刊行情報:Physical Review A 92, 031802(2015年9月9日刊行)。2014年の公開原稿と同一研究で、独立した追試ではありません。本記事の図は[1]の版です。