量子相対エントロピー、比較の向きとゼロ固有値で値が変わる理由

高さの異なる淡い二つのくさびが斜めの通路を挟んで向かい、一方は金色の面へ開き、もう一方はラベンダー色の壁で終わっている。

二つの量子状態を比べる量なのに、左右を入れ替えると値が変わり、片方の向きでは無限大になることもある。量子相対エントロピーは、こうした特徴を持ちます。普通の距離と同じ感覚で使うと読み違えるため、比較の順序と、各状態がどの部分空間に重みを持つかを合わせて確認します。

簡単にまとめると?

  • 量子相対エントロピーD(ρ∥σ)は、ρとσを入れ替えても同じ値になる量ではありません。
  • ρが重みを持つ方向をσが完全に除外していると、D(ρ∥σ)は無限大と定義されます。ゼロ固有値の扱いが重要です。
  • 同じ基底で対角な二状態なら、確率分布の相対エントロピーとして計算できます。ただし、一般の二状態を固有値の並びだけで比較することはできません。

一つの状態の混合度と、二つの状態の比較

量子状態は密度行列で表せます。物理的な状態の密度行列は正半定値で、トレースは1です。一つの状態の混合の度合いを扱うフォン・ノイマンエントロピーに対して、量子相対エントロピーは二つの状態を入力に取ります。本稿ではρを第一引数、σを比較先の第二引数として、順序を明示します。

参照した定義では、ρのサポートがσのサポートに含まれる場合、D(ρ∥σ)はTr(ρ log ρ)−Tr(ρ log σ)です。サポートは、状態がゼロでない重みを持つ固有ベクトルが張る部分空間を指します。この包含が成り立たない場合は、値を無限大とします。[1、定義5.18] ここでは対数の底を2にそろえます。

この式のρとσは、見た目にも同じ役割ではありません。第二項はρを重みとしてσの対数を評価するため、左右を入れ替えると重み付けも変わります。数値だけを記録するより、「どちらを第一引数にしたか」を記録する方が、比較を再現しやすくなります。

同じ二状態でも、0.189と0.208になる

まず計算が見える例として、同じ基底で対角な一量子ビット状態を考えます。ρの対角成分を(0.75, 0.25)、σの対角成分を(0.5, 0.5)とします。この場合は共通の基底を使えるため、行列の式は確率分布の式へ縮まり、D(ρ∥σ)=Σ pi log2(pi/qi)となります。

ρからσの向きでは、0.75 log2(1.5)+0.25 log2(0.5)を計算します。第一項は約0.439、第二項は−0.25で、合計は約0.189です。個々の項に負の値があることと、この例の合計の符号を混同しないようにします。

順序を逆にすると、0.5 log2(2/3)+0.5 log2(2)です。こちらは約−0.292+0.5で、約0.208となります。対象となる二状態は同じでも、第一引数の重みが変わったため値が一致しません。これは測定誤差や丸め誤差ではなく、式そのものの非対称性です。

相対エントロピーの向きの比較。0.75と0.25の状態から等確率状態へは約0.189、逆は約0.208。純粋状態から等確率状態へは1、逆は無限大。
底2の対数による独自計算。共通の基底で対角な、正規化された一量子ビット状態を比較した。

独自スクリプトでは、確率分布の式と対角行列の式をそれぞれ計算し、両方向の値が一致することを照合しました。同じ状態同士で0になる例も確認しています。入力のトレースが1であることを先に検査し、丸める前の値で比較しました。量子機で状態を作って測定した結果ではありません。

一方は1、逆向きは無限大

次にρを純粋状態|0⟩⟨0|、σを最大混合状態I/2とします。共通基底での重みは、それぞれ(1, 0)と(0.5, 0.5)です。ρが重みを持つのは|0⟩の方向だけで、その方向はσにも含まれています。したがってD(ρ∥σ)は有限で、1 log2(1/0.5)=1となります。ρの重みが0の項は、この計算では寄与しません。

逆のD(σ∥ρ)では事情が違います。第一引数σは|1⟩にも0.5の重みを持ちますが、第二引数ρはその方向の重みを0としています。第一引数のサポートが第二引数に収まらないため、定義に従って無限大です。単に「log 0の計算に失敗したので欠損値にする」という扱いでは、定義の意味が失われます。

この無限大を、そのまま一回の測定で二状態を完全に見分けられるという結論へ置き換えることもできません。この例で0/1の基底測定をすると、純粋状態は必ず0を返しますが、最大混合状態も半分の確率で0を返します。0という結果だけでは、どちらだったかを一意に決められません。比較量の値と、特定の測定で何が分かるかは別に考えます。

小さな数で置き換えると、別の状態になる

数値計算では、ゼロを小さな正の数で置き換えたくなる場合があります。しかし、ρをdiag(1−ε, ε)へ変えれば、εが正の間は両方向に重みを持つ別の状態になります。最大混合状態からこの状態を比べる値は、−1−0.5 log2(ε(1−ε))です。

独自計算では、ε=0.1で約0.737、0.01で約2.329、0.001で約3.984となりました。どれも有限ですが、εを0へ近づけると値は大きくなります。ゼロを置き換える処理は、単に表示を整える操作ではなく、比較対象と結果を変える選択だと分かります。

実データから状態を推定する場合にも、非常に小さい固有値をゼロと扱う閾値や、正の値へ補正する方法は記録が必要です。本稿の例は誤差のない入力行列を用いたもので、推定誤差を含む実験データにどの閾値が適切かを決める試験ではありません。

固有値だけで比較できる範囲を守る

今回の計算が確率の二成分だけで済むのは、二状態が同じ基底で対角だからです。一般には固有ベクトルの向きも関係します。たとえば|0⟩⟨0|と|1⟩⟨1|はどちらも固有値が1と0ですが、重みを持つ方向は異なります。固有値を大きい順に並べて同じ分布だと見なせば、この違いを落としてしまいます。

比較結果を読むときは、入力の順序、正規化、対数の底、サポート条件、ゼロ付近の扱いをそろえます。量子相対エントロピーを通常の対称な距離に読み替えず、何を入力し、どの条件で有限な値を得たのかまで含めて説明することが、数字を使った判断につながります。

出典

  1. John Watrous, The Theory of Quantum Information、2018年の著者公開・刊行前稿。第5章、定義5.3(本文252頁)、定義5.18と式5.85(本文266頁)、式5.87(本文267頁)。2026年10月23日取得。定義を参照し、本文の数値例・モデル・図は独自作成。刊行版との同一性は主張しない。