IBM実機の量子サンプルを構造探索へ再利用、VGSQDで分子軌道をそろえる理由

向きの異なる淡い桃色と緑の軌道形を点線で対応づけ、測定データの再利用を表した抽象画

分子の安定した形を計算するには、原子の位置を少し動かしてはエネルギーを調べる、という作業を繰り返します。量子コンピューターを計算の一部に使う場合、形を変えるたびに量子回路を実行し直すと、その測定と古典計算の間で待ち時間が積み重なります。

2026年10月28日に公開されたプレプリントでは、IBMの量子プロセッサーで測ったデータを、近い分子構造の計算へ再利用するVGSQD(可変分子構造のサンプルベース量子対角化)が提案されています。鍵になるのは、同じ測定結果を使ってよいように、構造が変わる前後で電子状態の表し方をそろえることです。

簡単にまとめると?

  • 量子回路の測定結果から計算に使う電子配置を選び、エネルギーは古典コンピューターで求めます。
  • 分子軌道の対応をそろえ、状態の変化を点検することで、近い分子構造へ測定データを再利用します。
  • IBM実機を使った小分子の検証です。量子計算機だけで構造探索を終えたり、あらゆる古典手法を上回ったりした結果ではありません。

量子で候補を集め、古典計算でエネルギーを求める

SQDは、電子の配置を量子回路からサンプリングし、その配置が張る「部分空間」に計算対象を絞る方法です。サンプルは0と1の列で、選んだスピン軌道に電子が入っているかどうかを表します。すべての電子配置を一度に扱う代わりに、有望な配置の組合せを集めるわけです。

この後を担うのは古典コンピューターです。測定ノイズで電子数などが合わなくなった配置を問題の情報から補正し、部分空間の中でハミルトニアン、つまりエネルギーを決める演算子を対角化します。補正と計算を繰り返し、低いエネルギーの状態を近似します。

絞り込みを強くすれば計算は軽くなりますが、重要な配置を落とすおそれがあります。逆に部分空間を大きくすると、精度を改善できる余地とともに、古典側のメモリーと計算時間も増えます。量子ビット数に加えて、古典側でどこまで計算したかも結果を読む手がかりになります。

同じ0と1でも、軌道の対応が変わる

たとえば、2つの原子の間隔を少し広げて、エネルギーが下がるか調べるとします。ここで再利用したいのは測定済みのビット列です。ただし、ビットが指す分子軌道の対応が変われば、同じ列をそのまま読み替えることはできません。

分子軌道は電子の状態を表すための基底です。構造を変えて計算し直すと、物理的には近い状態でも、軌道の混ざり方や順序が変わり得ます。VGSQDでは、新しい構造の軌道を基準の構造へできるだけ対応させます。そのうえで、軌道のずれや電子状態の変化が許容範囲内かを調べます。

対応が保てる間は、既存のサンプルを使って新しい構造のエネルギーを計算します。変化が大きくなれば基準を更新し、量子プロセッサーで測り直します。再利用できる範囲を点検する処理が、測定回数を減らす工夫と一組になっています。

測り直しと、古典側の計算し直しを分ける

再利用にも段階があります。ビット列が引き続き使えても、採用する電子配置の集合まで固定してよいとは限りません。次の表は、その違いを整理したものです。

何を引き継ぐか 残る計算
測定済みビット列 新しい構造に合わせた配置の補正・選択と、部分空間での対角化
選択済みの部分空間も引き継ぐ 新しいハミルトニアンをその空間へ射影して対角化
再利用の条件から外れる 量子回路で再サンプリングし、基準を更新
再利用する対象による計算の違い。原論文の手順をもとに作成。

したがって、量子回路を再実行しない区間でも、エネルギーや原子に働く力を求める古典計算は続きます。「サンプルを再利用する」は「前のエネルギーを流用する」という意味ではありません。

実機での検証と、広げる際の課題

研究ではIBMのHeron r2プロセッサー「ibm-quebec」を使い、最大124量子ビットの回路で検証しました。ベリリウム二量体の一つの構造最適化では、途中の再サンプリングは1回でした。水分子や水素交換反応にも適用しています。

ただし、結果の良し悪しは対象と計算条件によって異なります。特に基底関数の選び方と部分空間の大きさをそろえて比べる必要があります。古典手法に対する全面的な精度優位や、計算全体の高速化を示したものとしては読めません。

また、エネルギーの近い電子状態が複数ある場合には、再利用の判定をすり抜けて状態が変わる可能性があります。今回の工夫は、近い構造を続けて調べる量子・古典混合計算で、どの測定を省けるかを具体化したものです。次に見るべきなのは、より複雑な分子でも判定が働くか、そして古典計算や待ち時間まで含めてどの程度の負担を減らせるかです。

量子計算機を開発するIBMの事業全体は、cyclewaveのIBMはどんな会社?で紹介しています。

参考資料