量子状態を完全に知っていても、測定結果をすべて言い当てられるとは限りません。たとえば一つの量子ビットで、Z方向の測定結果が0と決まる状態を用意しても、X方向の測定では二つの結果が半々になります。状態についての知識と、測定結果の不確かさは、同じものではありません。
2026年11月2日に公開されたJonathan J. Thio氏らのプレプリントは、この不確かさを準確率という量子状態の表現で調べています。二つの測定を一つの表に結び付けると、表の広がりにはどんな下限があるのか。特定の表現と非負の条件の下で、混合状態の不確かさが、最小値を達成する純粋状態より小さくならないことを示した理論研究です。
簡単にまとめると?
- 準確率は量子状態を数の表へ写す方法です。一般には負の値や複素数も現れるため、普通の確率と同じ扱いはできません。
- 対象とする非負の表では、状態がどれほど混ざっているかを表す「純度」から、エントロピーの下限を求められます。
- 結論には表現と測定基底の条件があります。すべての純粋状態が最小になるわけでも、任意の準確率で同じ下限が成り立つわけでもありません。
二つの測定を、一つの表に結び付ける
ここでは、Kirkwood–Dirac(KD)準確率を考えます。行には測定Aの結果、列には測定Bの結果を並べ、それぞれの組に量子状態から計算した数を割り当てます。行ごと、列ごとに足すと、Aだけ、Bだけを測ったときの通常の確率が得られるのが特徴です。
ただし、表の中身は一般には実数に限らず、負の値や虚数部分を持つことがあります。そのため、二つの測定結果が同時に確定していて、その組が表の確率で出現する、と解釈することはできません。とくに、測定を順番に実施したときの結果の表と、そのまま同じだと思わないことが大切です。
今回の主結果で重要なのが、互いに偏りのない基底(MUB)です。一方の測定結果が確定する状態を用意したとき、もう一方では全結果が等しい確率で出る関係を指します。1量子ビットのZ基底とX基底は、その具体例です。
著者らは、KD表の実部を取ったMargenau–Hill(MH)分布も使います。主なエントロピーの不等式は、この実部の表がすべて非負になる状態に適用されます。KD表自体が非負の実数ならもちろん含まれますが、KD表に虚数部分があっても、実部が非負なら含まれます。この二つの条件は区別する必要があります。
四つのマスで比べる、1量子ビットの例
Zを測ると0になる純粋状態を、ZとXのKD表で表してみます。Z=0の行には1/2と1/2が並び、Z=1の行は0と0です。行の和は1と0、列の和は1/2と1/2なので、Zは確定し、Xは半々になることが確かめられます。
一方、0の状態と1の状態を半々に混ぜた最大混合状態では、四つのマスがすべて1/4になります。ZでもXでも結果は半々ですが、表全体で見ると、非ゼロの値は二つのマスから四つのマスへ広がります。

非負の表の広がりを測るのが、Shannonエントロピーです。それぞれの確率pについて−p log₂pを足すと、最初の表は1ビット、最大混合状態の表は2ビットになります。ここで「ビット」は不確かさの単位であり、装置に必要な量子ビット数を数えているわけではありません。論文は自然対数を使いますが、ここでは身近な情報量の単位へ換算しています。
純度が低いほど、下限が上がる
状態の混ざり具合を表す量に、純度P=Tr(ρ²)があります。純粋状態ならP=1、D次元の最大混合状態ならP=1/Dです。ここでρは状態を表す密度行列、Dは系全体の状態空間の次元です。N個の量子ビットならD=2のN乗になります。
論文の主定理をビット単位に書き換えると、対象とする非負のMH表のエントロピーHには、H ≥ log₂D − log₂Pという下限があります。1量子ビットではD=2なので、純粋状態の下限は1ビット、最大混合状態では2ビットです。先ほどの二例は、それぞれこの下限に一致します。
この関係の背景には、「表をどこまで集中させられるか」という制約があります。表の各値を二乗して足した量は、純度をDで割った値以下になります。一方、Shannonエントロピーは、その二乗和のマイナス対数以上です。この二段階をつなぐと、純度からエントロピーの下限が得られます。
混合状態ではPが1より小さくなるため、−log₂Pは正になります。その分、絶対的な最小値log₂Dよりも高い不確かさが残ります。すべての混合状態を個別に列挙して、表の形を調べなくても、この制約を導ける点が研究の要所です。
ただし、純度を途中の値に固定すれば、その下限へ必ず届くわけではありません。付録では、等号に必要な条件として、非ゼロのマスの値が一様であることなどが示されています。「下回れない値」と「その純度で実際に達成できる最小値」は、別に確かめる必要があります。
純粋なら、いつでも不確かさが最小なのか
主定理では、表のエントロピーが絶対的な最小値log₂Dへ達するのは、その準確率表が非負である純粋状態に限られます。純粋であることだけでは十分ではありません。
同じ1量子ビットでも、Y方向のプラスの状態を用意し、ZとXのKD表を作ると、各マスには(1+i)/4または(1−i)/4が現れます。実部はどのマスも1/4なので、MH表のエントロピーは2ビットです。純度は1でも、ZとXに対する不確かさは最小になりません。これは論文の定義から計算できる例で、純粋状態と、特定の測定にとって確定的な状態とを分けて考える助けになります。
| 確かめる項目 | 今回の条件・意味 | 広げすぎないための注意 |
|---|---|---|
| 表現と基底 | MUBに基づくKD表など | 任意の基底や準確率へそのまま拡張しない |
| 非負性 | Shannonエントロピーを扱う表の実部が非負 | 複素数のKD表へ普通の確率の式を直接適用しない |
| 純度 | 状態の混ざり具合 | 純粋でも、選んだ測定の結果が確定するとは限らない |
| 下限の達成 | 絶対最小値と、固定純度での最小値を区別 | 不等式の右辺へすべての純度で届くとは限らない |
量子らしさの資源と、不確かさは同じ指標ではない
論文はさらに、KD表が非負の確率表からどれほど外れるかと、二つの測定のRényiエントロピーの関係も調べています。対象とするMUBの設定では、この非正性を測る資源量が大きければ、測定結果の不確かさにも大きな値が必要になります。ここで使うRényiエントロピーは次数1/2のもので、前のShannonエントロピーとは別の指標です。
逆に、測定結果が大きくばらつくからといって、その資源量も必ず大きいとは言えません。最大混合状態の例では、ZとXの結果はどちらも半々ですが、KD表はすべて非負です。混合によるばらつきと、準確率の非正性が示す性質を、同じ「量子らしさ」として一括りにはできません。
主定理のもう一つの対象は、奇数次元の量子系を組み合わせたGross–Wigner表現です。通常の量子ビットへ、この表現の結論をそのまま移すわけではありません。また、連続変数のWigner関数や、MUBでないKD表では、同じ最小化の関係を一般に主張できないことも論文で論じられています。
今回の成果は、測定器の雑音を減らした実験や、計算の高速化を示す結果ではありません。量子状態の表し方を定めたとき、混合度と測定の不確かさの間に残る数学的な制約を明確にするものです。量子の不確かさを比べる際には、何の表を使い、どの範囲の状態で、どのエントロピーを測ったのかまでそろえることが、結果を理解する入口になります。
出典
- Jonathan J. Thio, Stephan De Bièvre, Crispin H. W. Barnes, David R. M. Arvidsson-Shukur, Tight Quasiprobabilistic Entropic Uncertainty Relations for Discrete Quantum Systems, arXiv:2611.04009v1(2026年11月2日公開)。KD/MHの定義は式(9)(14)(17)(18)、下限と最小状態はTheorem 1・Proposition 1、非正性との関係は式(33)、固定純度での達成条件は付録A。
