希土類量子メモリ、スピンの長寿命が光子の保存時間と違う理由

三つの透明な器に、整った光の粒、通り抜ける光の帯、かすみの中の二つの光が浮かぶ。量子メモリを測る三つの観点を抽象的に表す。

量子メモリの研究には「何時間も保つ」という報告がある一方、光子の量子状態を出し入れする実験では秒単位の値が登場します。この差は、単に装置の性能差ではありません。結晶の内部で位相がそろっている時間と、光を取り出せる時間、量子情報として十分な品質を保てる時間では、確かめていることが違います。

2026年11月2日に公刊され、翌3日にarXivへ掲載された希土類イオン添加結晶の総説は、この三つの時間を分けて研究の進展を整理しています。新しい総説が振り返る過去の実験を、原報の条件とともに見ていきます。[1]

簡単にまとめると?

  • スピンの位相が長く保たれても、その時間だけ光子を高品質で保存できるとは限りません。書込み・読出しの損失と雑音も関わります。
  • 2021年の1時間のコヒーレント光保存と、2025年の弱い光を使った量子状態の保存は、異なる検証です。
  • 量子メモリを比べるときは、保存時間に加えて入力光、効率、忠実度と比較基準、温度や磁場を一緒に確認する必要があります。

内部の位相を保つことから、光の出し入れへ

量子通信では、離れた区間の準備が同時に整うとは限りません。先にできた量子状態をメモリへ預け、ほかの区間を待てれば、より長い距離をつなぐ助けになります。希土類イオンを少量加えた結晶では、光が持つ情報を多数のイオンに広がるスピンの励起へ移し、あとで光へ戻す方法が研究されています。[1]

最初の指標は、スピンコヒーレンス時間です。スピンの重ね合わせを支える位相関係が、どれくらい崩れずに残るかを調べます。2025年1月の別の研究では、ユウロピウムを添加した結晶を125 mKまで冷却し、13時間を超えるコヒーレンスを報告しました。これは光と接続できる材料内部の記憶能力を示す結果で、その時間だけ入射光子を保存し、取り出した実証ではありません。[2]

次の光保存時間では、実際に光を結晶へ書き込み、待ってから取り出します。内部の位相だけでなく、光を吸収する確率、スピンへ移す制御、光へ戻す過程が効いてきます。最後の量子保存では、取り出した弱い光の状態が、測定結果を使って光を作り直す古典的な方法を上回る品質を持つかまで確かめます。[1]

スピンの位相、光の出し入れ、量子状態の品質という三つの確認範囲を並べ、後の段階ほど変換損失や雑音も調べる必要があることを示す概念図。
三つの指標が確かめる範囲。資料[1]を基にQuantum Sea作成。時間の長さを同じ尺度で描いた図ではない。

磁場と制御パルスで位相の乱れを抑える

結晶内のスピンは、周囲の磁場の揺らぎによって少しずつ異なる速さで位相を進めます。そこで使われるのがZEFOZ(ゼロ一次ゼーマン)遷移です。磁場の強さと向きを調整し、小さな磁場変化に対する遷移周波数の一次の変化が消える条件を選びます。磁場の影響がすべてなくなるわけではなく、より高次の変化や試料内の不均一さは残ります。[1]

さらに、スピンへ制御パルスを繰り返し加える動的デカップリング(DD)で、位相のずれが蓄積するのを抑えます。ただし、パルスを増やせば常に有利になるわけではありません。制御の小さな誤差が雑音につながり、RFコイルの加熱が光学的な性質を変えることもあります。材料内部で長いコヒーレンスを得る条件と、弱い光を少ない損失・雑音で取り出す条件を、同時に満たす必要があります。[1、3、4]

1時間の光保存で確認したこと

2021年の研究では、ユウロピウム添加結晶に原子周波数コム(AFC)を用い、光をコヒーレントに1時間保存しました。AFCは、吸収する周波数をくしの歯のように整え、広がったイオンの位相が再びそろう性質を利用する方法です。スピンへの転送とDDを組み合わせた条件で、光エコーの減衰から求めた1/e寿命は52.9±1.2分でした。[3]

1/e寿命は、信号が初期値の約37%になる時間を表す指標です。その時刻に突然記憶が消えるという意味ではありません。この実験では1時間後の光同士を干渉させ、位相関係が保たれていることも確認しています。ただし、明るい光で位相を確認することと、光子がごく少ない入力で雑音に埋もれず量子情報を取り出すことには、追加の隔たりがあります。[1、3]

5.6秒の忠実度と、42秒の信号を分ける

2025年11月に発表され、12月に改訂された研究は、NLPE(無雑音光子エコー)とDD、ZEFOZ条件を組み合わせました。NLPEは結晶の自然な吸収を生かしながら位相を再びそろえ、信号と不要な発光を分ける方式です。名称に「無雑音」とあっても、実験全体の雑音がゼロになったわけではありません。DDの誤差による残留励起が、読出し時の雑音源になりました。[4]

この装置の光保存の1/e寿命は27.6±0.5秒でした。5.6秒の保存では、光が早く到着する成分と遅く到着する成分に情報を載せる時間ビン量子ビットを検査しています。平均入力光子数1.16、保存効率8.2%という条件で、忠実度は88.0±2.1%。同じ入力の光子数統計と有限の効率を考慮した古典的な比較基準82.1%を上回りました。忠実度は、取り出した状態が入力の状態をどの程度保ったかを示します。[4]

一方、42秒の実験では平均入力光子数4.14の弱いコヒーレント光を使い、信号対雑音比を測定しています。単一光子入力に換算した値は1.34±0.33で、保存効率は1.47%でした。この結果を、42秒後にも忠実度88%を実測した、と読み替えることはできません。5.6秒の量子状態の検証と、42秒の信号・雑音の評価は、別の条件です。総説のarXiv版にある入力光子数の訂正も、5.6秒の条件に関するものです。[1、4]

保存時間の数字と、一緒に確かめたい条件
指標・例 確認したこと その数字だけでは分からないこと
スピンコヒーレンス:13時間超(2025年) 125 mKで材料内部の位相関係を長く保持 光子の書込み・読出しを含めた保存性能
コヒーレント光保存:1時間(2021年) 光を取り出し、位相の干渉を確認 同じ時間での単一光子レベルの雑音と忠実度
量子状態の保存:5.6秒(2025年) 条件を合わせた古典的基準を超える忠実度 42秒や1時間での同じ忠実度

長寿命と、使えるメモリの間にある条件

保存時間を延ばしても、光の大部分が失われれば通信の成功率は下がります。希土類イオンの濃度を上げて吸収を強めると、スピンの性質のばらつきが増え、コヒーレンスと両立しにくくなる場合があります。総説は、結晶の品質、より均一な磁場、誤差の少ないDD、光共振器を使った吸収の改善などを今後の課題として挙げています。これらを組み合わせた実用装置が完成したという報告ではありません。[1]

比較するときは「何秒か」に続けて、何を入れ、何を取り出し、どれだけ失い、どの基準で量子状態の保存を確認したかを見ると、成果の位置づけが明確になります。長いスピンコヒーレンスは重要な土台です。その土台を光子の出し入れと低雑音の動作へつなぐことが、長寿命量子メモリの次の課題です。

出典

  1. Sa et al., Long-lived quantum memories with rare-earth ions doped in crystals, arXiv v1(2026年11月3日、数値訂正を含む)。Quantum Frontiers公刊版(2026年11月2日)。
  2. Wang et al., Nuclear Spins in a Solid Exceeding 10-Hour Coherence Times for Ultra-Long-Term Quantum Storage, PRX Quantum 6, 010302(2025年1月3日)。
  3. Ma et al., One-hour coherent optical storage in an atomic frequency comb memory, Nature Communications 12, 2381(2021年4月22日)。
  4. Lv et al., Minute-Scale Photonic Quantum Memory, arXiv v2(初版2025年11月16日、改訂12月1日)。