ゼロノイズ外挿、拡散の速さを直線で戻せないとき

桃色の曲線に沿って青緑の球が並び、下には直線的な淡い影が伸びる。曲がった変化を直線で延ばせない外挿を抽象的に表す。

ノイズのある量子計算から、ノイズがなかった場合の答えを知りたい。そのための方法の一つが、ノイズの強さを変えて測り、ゼロのところまで結果を延ばす「ゼロノイズ外挿(ZNE)」です。ところが、物質の中を磁化が広がる速さのように、長い時間の振る舞いを調べる場合には、この延ばし方そのものが問題になります。

マックス・プランク複雑系物理学研究所、トリニティ・カレッジ・ダブリン、プリンストン大学、ボストン大学の研究者らは、一次元のスピン鎖を題材に、輸送係数をゼロノイズへ外挿する枠組みを提案しました。2026年11月3日提出のプレプリントで、理論と数値計算を組み合わせた報告です。実機の量子プロセッサーで精度向上を実証した研究ではありません。

簡単にまとめると?

  • 磁化の模様が消える原因を、空間的な拡散と、ノイズによる総量の減少に分けて考えます。
  • ノイズが弱い領域でも、拡散係数がノイズ強度の平方根に沿って変わる場合があり、単純な直線での外挿が適しません。
  • ノイズで最後に落ち着く状態まで変わると、外挿先も変わります。同じ磁化状態を比べているかの確認が必要です。

広がって消えたのか、ノイズで失われたのか

スピン鎖は、磁石のような性質を持つ量子的な自由度を一列に並べた模型です。ある場所に偏っていた磁化が隣へ、さらに隣へと広がる速さを、拡散係数で表せます。ここで扱うのはスピンの輸送であり、電線を流れる電流の抵抗値をそのまま測っているわけではありません。

広がり方を調べるため、磁化の濃淡が波のように並ぶ、小さな空間的な模様を用意します。拡散すれば濃淡はならされ、波の振幅が小さくなります。波長の長い模様ほど、ならされるのに時間がかかります。

ノイズが磁化の保存を破ると、別の消え方が加わります。隣へ移るだけでなく、磁化の総量そのものが変わるためです。研究では、長い波長での減衰率を「拡散に由来する部分」と「一様な磁化も失わせる部分」の和で近似します。普通の拡散なら、前者は波数の二乗に比例し、その係数をノイズ下の有効拡散係数と呼びます。

たとえば同じノイズ強度で、二つ以上の波長の模様を比べれば、波長によって変わる減衰と、共通する減衰を分ける手掛かりが得られます。ノイズがある状態の減衰をすべて「速く拡散した結果」と解釈しないことが、出発点になります。

輸送係数をゼロノイズへ外挿する際の三つの確認。拡散と総量の減衰を分け、ノイズ依存の曲がり方を調べ、同じ磁化状態を比較する。
輸送係数を外挿する際に分けて確認したい点。論文の議論を基にQuantum Sea作成。実測データのグラフではありません。

弱いノイズでも、直線にはならない理由

有効拡散係数をノイズ強度ごとに取り出したら、次はノイズゼロへの外挿です。よく使われる考え方は、結果がノイズの強さに対して滑らかな多項式で表せると仮定するものです。しかし今回の模型では、最も効く補正がノイズ強度γの平方根、√γに比例する場合があります。

原因は、長い時間まで残る流れの揺らぎです。拡散係数には、現在の流れが過去の流れとどれくらい関係しているかという、時間にまたがる相関が寄与します。その相関がゆっくり減ると、遅い時間の小さな寄与も無視できません。

ノイズは、この長時間の振る舞いを途中で打ち切ります。研究の近似では、ノイズ強度がγなら、およそ1/γの時間が目安になります。ノイズを半分にしても、失われた寄与が単純に半分になるとは限りません。対象の一次元模型で流れの相関が時間の−3/2乗に沿って減る場合、打ち切った先の寄与を積み上げると、√γに比例する補正が現れます。

このため、γを横軸にしたときに曲がるデータでも、√γを横軸にすれば、弱いノイズの範囲で直線に近づく可能性があります。これは好きな曲線を当てはめるという話ではなく、保存される量と、その長時間の揺らぎから外挿の形を選ぶという提案です。

保存則とノイズを変えて確かめる

研究チームは、散逸を含むハイゼンベルク型スピン鎖を数値計算しました。もとの模型では三方向の磁化が保存されます。そこへ向きをランダム化する脱分極ノイズを加えた場合、理論は√γの補正を予測します。

300サイトの計算結果はこの予測と整合しましたが、著者らは、数値の変化幅が小さいため、数値データだけでγへの直線的な依存を排除できるとはしていません。そこで、相互作用を小さい量として展開する摂動計算も用い、平方根の項が現れることを確かめています。理論による裏付けと、有限の計算データが支持する範囲を分けて読む必要があります。

一方、一つおきに向きが変わる外部磁場を加え、残る保存則を一つにした模型では、弱いノイズに対する主要な変化はγに比例しました。つまり、ZNEには常に平方根を使えばよいという結論ではありません。模型の対称性や保存則が変われば、適した外挿の形も変わります。

確認すること 今回の例 外挿への影響
何が保存されるか 三方向の磁化を保存する模型と、外部磁場で保存則を減らした模型 弱いノイズで√γの項が効くか、γの項が効くかが変わる
最後に落ち着く状態 脱分極ノイズでは平均磁化ゼロ、振幅減衰では一方向にそろう 長時間待ってから外挿すると、対象とする磁化状態が変わり得る
計算・測定できる範囲 有限のノイズ強度、時間、系の大きさで比較 理論で予測した弱ノイズ領域に入っているかを確かめる

正しい曲線でも、違う状態へ戻ることがある

もう一つの落とし穴は、ノイズによって系が最後に落ち着く「定常状態」が変わることです。励起を失わせる振幅減衰ノイズを加えると、この模型のスピンは長時間後に一方向へそろいます。初めに調べたかった磁化状態とは違っていても、その状態での拡散係数を丁寧に外挿してしまう可能性があります。

そこで著者らは、ノイズを弱めると同時に観測時間を長くし、γと時間tの積を一定に保つ方法を検討しました。取り上げた模型では平均磁化の変化がγtで決まるため、違うノイズ強度でも同じ磁化に達した時点を比べられます。数値計算では、この比較から得た拡散係数が、対応する磁化状態のノイズなしの計算と整合しました。

ただし、これは実験で安く実行できる手順とは限りません。量子状態を測ると状態が変わるため、長い時刻の値を何度も測るには、そのたびに状態の準備と待機が必要です。研究では、状態を壊さず途中の期待値を取り出せる数値シミュレーションで、とくに有用な方法として位置付けています。

外挿する前に、物理的な条件をそろえる

今回の結果が示すのは、ノイズを増減させたデータを集めるだけでは、輸送係数の推定は完結しないということです。減衰の原因を分け、保存則に応じた曲線を選び、同じ状態を比較する。この確認が、ノイズゼロの値の意味を決めます。

対象は主に、無限温度の統計的な状態を基準にした一次元模型です。有限温度や可積分系への適用、実機で複数種類のノイズをどう変えるか、測定回数をどこまで抑えられるかは、今後の課題として残ります。量子計算のあらゆる結果に共通する補正式ではなく、輸送という長時間現象に合わせて誤差低減を設計するための研究です。

出典

  • Hansveer Singh、Pieter W. Claeys、Sarang Gopalakrishnan、Anushya Chandran「Zero noise extrapolation of transport coefficients」arXiv:2611.05481v1、2026年11月3日提出。主に本文I〜VI・VIII節、図1〜3、付録A・Bを参照。理論・数値計算のプレプリント。