分銅と物体を左右に載せる天秤は、二つの質量を比べます。それに対してキッブル天秤は、物体に働く重力を電磁力と比べ、電気の測定を通して質量へ結び付ける装置です。では、電磁石の強さやコイルの寸法を完全に知っていなくても、どうやって精密に測れるのでしょうか。
鍵になるのは、同じコイルを使う二つの測定です。物体を支えるときの電流と、コイルを動かしたときの電圧を組み合わせると、直接求めにくい磁場と形状の因子を式から消せます。ここでは、力と速度を順に測る基本的な方式から、その先にあるプランク定数とのつながりまでを見ていきます。[1]
簡単にまとめると?
- 静止したコイルで物体を支える測定と、コイルを動かして誘導電圧を測る測定を組み合わせます。両方に共通する磁場・形状の因子を消すことが核心です。
- 得られる関係は mgv = UI。別々の測定値を掛け合わせた「仮想仕事率」であり、物体を持ち上げる最中の消費電力を測るという意味ではありません。
- 電圧と抵抗の量子標準を使うことで、固定されたプランク定数から質量へつなげます。定数が正確でも、重力・速度・整列など実際の測定の不確かさは残ります。
まず静止したコイルで、物体の重さを支える
磁場の中に置いたコイルへ電流を流すと、コイルに力が働きます。キッブル天秤の力モードでは、その電磁力を、質量 m の物体に働く重力とつり合わせます。重力の大きさは、質量とその場所の重力加速度 g の積 mg です。[1]
ここでは関係が見えるように、磁束密度を B、力に寄与するコイルの有効な長さを L、電流を I と書きます。力の大きさについて、基本の関係は mg = BLI となります。実際の装置では、磁場とコイルの形状をまとめた因子を扱います。BL は、その役割を簡潔に表したものです。[1]
この式だけで質量を求めようとすると、電流に加えて BL を精密に知らなければなりません。細かな寸法や磁場の分布をそれぞれ測る負担が、ここに現れます。
次にコイルを動かし、同じ因子を電圧から測る
もう一方の速度モードでは、重さを支える電流を流す代わりに、コイルを磁場の中で鉛直方向へ動かします。コイルを通る磁束が変わるため、誘導電圧が生じます。速度の大きさを v、誘導電圧の大きさを U とすると、同じ基本モデルでは U = BLv です。[1]
つまり、電圧を速度で割った U/v が、知りたかった BL に当たります。これを力モードの式へ代入すると、BL を直接求めずにmgv = UI、したがってm = UI/(gv) を得られます。二つのモードで共通の因子を使えることが、この工夫を支えています。
たとえば、仕組みを見るための丸めた仮定として、電流を0.010 A、電圧を0.980 V、速度を0.001 m/s、重力加速度を9.80 m/s²とします。UI は0.00980 W、gv は0.00980 m²/s³なので、式から質量は1.00 kgとなります。これは装置の測定結果ではありません。実測では、各値を必要な精度で求め、重力加速度にも測定場所に対応した値を使います。
「仮想仕事率」は、別々に測った値を結び付ける
mgv と UI は、どちらも仕事率と同じ単位W(ワット)を持ちます。このため、関係は仮想仕事率として説明されます。ただし、ここで扱う方式では、力モードのコイルは静止しています。式に入れる速度は、そのときのゼロではなく、別の速度モードで測った値です。[1][3]
電圧と電流も同じ場面の組ではありません。速度モードの誘導電圧と、力モードの電流を組み合わせています。「電力を投入して分銅を持ち上げ、その効率から質量を求める」と考えると、測定の役割を取り違えてしまいます。

原図の上段では、電流源からコイルへ電流を流し、コイルとは別に描かれた抵抗Rに生じる電圧を測ります。抵抗値が分かっていれば、電圧を抵抗で割って電流を求められます。右側のPJVSは、プログラマブル・ジョセフソン電圧標準という基準電圧の装置です。DVM(デジタル電圧計)は、測りたい電圧と基準電圧との差を読み取ります。[1]
下段では、上段の電流源と別の測定用抵抗がなくなり、動かしたコイルに生じる電圧をPJVSと比較します。コイル自身の抵抗を示す記号は、上下どちらにも残っています。二つの図を見比べると、同じ電圧標準を使いながら、上段では電流を知るために、下段では誘導電圧そのものを知るために測っていることが分かります。これは装置全体の外観図ではなく、電気の測定の違いを取り出した図です。
電圧と抵抗の量子標準が、プランク定数へつなぐ
ここまでで、質量の測定は電圧・電流・速度・重力加速度の測定へつながりました。さらに電圧と抵抗には、量子現象に基づく標準を使えます。ジョセフソン効果を使う電圧標準は、周波数と電圧を、プランク定数 h と電気素量 e を含む関係で結びます。量子ホール効果を使う抵抗標準は、抵抗を h/e² に結びます。[1][3]
電流を、抵抗に生じる電圧と、その抵抗値から求めると、電気側の積 UI には二つの電圧と一つの抵抗が入ります。それぞれの量子標準の関係を代入すると、e は消え、h と二つの周波数、既知の係数で表せます。実際には、抵抗標準から測定用抵抗へ値を移す校正なども含めて、このつながりを確保します。
現在のSIでは、プランク定数は6.62607015 × 10−34 J sと正確に固定されています。キログラムは、この値とメートル・秒の定義につながるように定義されています。キッブル天秤は、その定義を実際の質量の測定へ移す方法の一つです。かつて既知の質量から h を求めた関係を、現在は固定された h から質量へ向けて使う、と見ると役割の変化が分かります。[2][3]
定数が正確でも、装置の測定には不確かさがある
BL を消せるのは、二つのモードで対応する磁場と形状の因子を共有できるからです。電流による温度変化、磁場の変動、コイルの傾きや動き方などによって、その対応が崩れれば補正や評価が必要になります。速度と誘導電圧も、対応する運動について測らなければなりません。[1]
また、重力加速度はどこでも同じ値ではありません。NISTの解説では、局所的な重力加速度を重力計で測り、コイルの速度をレーザー干渉計で測る方法を示しています。BIPMの2021年版の実現方法の解説も、機械的・磁気的な整列に加え、速度・重力加速度・電流・電圧の測定をSIへ結び付けることを挙げています。[3][4]
装置の性能を比べるときは、測れる質量の範囲と、その条件での相対不確かさを一緒に見ます。不確かさが標準不確かさなのか、包含係数を掛けた拡張不確かさなのかも確認が必要です。真空中か空気中か、空気の浮力をどう扱うか、重力や速度をどう測るかによって、比較する条件が変わります。固定された h の桁数を、そのまま装置の測定精度と読むことはできません。
なお、キッブル天秤には測定を同時に行う構成などもあり、すべてがここで説明した順次測定と同じ回路ではありません。本記事の2019年の図は、二つの測定の役割を理解するためのものです。現在の各装置の最高性能を示すものとは分けて読む必要があります。共通する要点は、機械側と電気側を結ぶ関係をつくり、量子標準と丁寧な測定を通して、定義された質量へたどり着くことです。[3]
参考資料
- S. Schlamminger, D. Haddad, The Kibble balance and the kilogram, C. R. Physique 20(2019)55–63. DOI: 10.1016/j.crhy.2018.11.006。§§2–3、Figure 1、測定条件の説明を参照。
- BIPM, SI base unit: kilogram。現在のキログラムの定義と固定されたプランク定数。
- BIPM, Mise en pratique for the definition of the kilogram in the SI、2021年7月7日版。§§2–3、Annex A2。仮想仕事率、電気標準、測定のSIへのつながりを参照。
- NIST, Kilogram: The Kibble Balance、2018年作成、ページ更新表示2026年5月28日。局所重力と速度の測定方法を参照。定義変更前の説明や過去の装置性能を含む。
