量子シミュレーションの計算結果を見て、測定確率の合計が1になっていれば安心できるでしょうか。閉じた量子系を近似計算するとき、この合計を保つことは大切です。ただし、それだけで目標の時間変化を正しく追えているとは限りません。
この違いを理解する鍵が、ユニタリ性です。量子状態の大きさを変えずに動かす性質で、近似に使う演算の形によって、保たれる場合と崩れる場合があります。指数関数による更新と、一次の項だけを残す陽的オイラー法を比べ、「合計が1」と「答えが正確」を分けて考えます。[1]
簡単にまとめると?
- ユニタリな演算は量子状態のノルムを保ちます。正規化された状態なら、測定結果の確率の合計も1のままです。
- 実時間の変化を一次の式で更新する陽的オイラー法は、一般にこの性質を保ちません。計算後に正規化しても、状態が進む向きや角度の誤差は残ります。
- 指数関数の積は条件を満たせばユニタリ性を保ちますが、目標の時間発展と一致するとは限りません。ノルム、求める観測量、刻みを細かくしたときの変化を別々に確認します。
ユニタリ性が保つのは、状態の大きさ
量子状態を、複素数の成分を持つベクトルψで表します。それぞれの成分の絶対値を二乗し、足したものがノルムの二乗です。状態を正規化するとは、その値を1にそろえることです。正規直交した測定基底で各成分を読むなら、この二乗の和が測定確率の合計になります。
演算Uがユニタリである条件は U†U=I です。†は複素共役を取って転置する操作、Iは何も変えない単位行列を表します。Uを作用させた後の大きさは (Uψ)†(Uψ)=ψ†U†Uψ=ψ†ψ となり、入力と同じです。
ここでは、環境への散逸を含まない閉じた系と、時間に依存しない有限次元のエルミート行列Hを扱います。Hはエネルギーや相互作用を表すハミルトニアンで、エルミートとは H†=H という性質です。ℏを1とする単位では、実時間tの正確な変化は U(t)=exp(−iHt) です。Hがエルミートでtが実数なら、このUはユニタリになります。[1]
一次まで残した更新では、何が増えるのか
指数関数を小さな時間刻みδについて展開し、一次まで残すと V(δ)=I−iδH です。これはシュレーディンガー方程式を陽的オイラー法で更新する形に当たります。実装しやすそうに見えますが、指数関数にあった性質がすべて残るわけではありません。
Hがエルミートなら、積を直接計算して次の関係が得られます。
V†V=(I+iδH)(I−iδH)=I+δ²H²
したがって、更新後のノルムの二乗は ‖Vψ‖²=‖ψ‖²+δ²‖Hψ‖² です。δが0でなくHψも0でなければ、大きさが増えます。刻みが小さいと1回の増加は小さくなりますが、ユニタリな更新ではありません。この式は、上の条件から行った直接の代数計算です。
増えた成分の二乗を、そのまま物理的な確率と呼ぶことはできません。「実験で全確率が1を超えた」のではなく、計算に使った近似ベクトルが正規化された状態から外れた、という問題です。HatanoとSuzukiの解説も、指数関数の積と一次の近似を比較し、ノルム保存の違いを指摘しています。[1]
1量子ビットで、刻みを変えて比べる
違いを見やすくするため、ハミルトニアンをパウリX行列 X=[[0,1],[1,0]]、初期状態を |0⟩、全時間を t=1 とします。Xは0と1を交換する行列で、X²=Iです。ここでの時間は係数を1とした模型の単位であり、量子装置を動かす秒数ではありません。
正確な状態は cos(1)|0⟩−i sin(1)|1⟩ なので、1を測る確率は sin²(1)≈0.708073 です。この模型は正確に解けるため、近似のずれを確かめる基準にできます。
一方、全時間をK分割して δ=1/K とし、VをK回適用すると、正規化前のノルムの二乗は (1+1/K²)ᴷ になります。以下の「1の確率」は、最後にベクトルを正規化してから計算した値です。正規化前の大きさと混同しないよう、列を分けています。
| 分割数K | 正規化前のノルム² | 正規化後の1の確率 | 正確な値との確率差の絶対値 |
|---|---|---|---|
| 1 | 2.000000 | 0.500000 | 0.208073 |
| 2 | 1.562500 | 0.640000 | 0.068073 |
| 4 | 1.274429 | 0.689647 | 0.018427 |
| 8 | 1.132054 | 0.703370 | 0.004703 |
| 16 | 1.064365 | 0.706892 | 0.001182 |
| 正確な指数関数 | 1.000000 | 0.708073 | 0.000000 |
狭い画面では表を横にスクロールできます。K=1では、正規化前のノルムの二乗は2です。これを正規化すると合計は1になりますが、1を測る確率は0.5にしかなりません。正確な値の約0.708とは違います。

正規化で直せる大きさと、直せない向き
この模型では、1回の更新を I−iδX=√(1+δ²) exp(−i arctan(δ)X) と書けます。つまり、正しい形の回転に、大きさを増やす係数が付いた演算です。arctanは正接の逆関数で、角度はラジアンです。
正規化は前の係数を取り除きます。しかし、K回後の状態を決める角度は K arctan(1/K) のままで、目標の1にはなりません。K=1ならπ/4、約0.7854です。大きさをそろえる操作は、進みすぎ・進み足りなさを修正する操作とは違うことが分かります。
固定した線形の更新Vを使う場合、毎回正規化しても、最後に一度正規化しても、最終状態の方向は同じです。途中で掛けた実数の係数は、最後の正規化で相殺されるためです。これはH=Xに限りません。一方、H=Xで特別なのは、更新による増加係数がどの入力状態にも共通なことです。一般のHでは、固有値の違いに応じて成分の増幅率も異なり得るため、正規化後の方向も正確な発展からずれます。「毎回正規化すれば、このずれを防げる」とは言えません。
Kを増やすと表の値は基準へ近づきます。ただし、この特別な模型の収束の速さや単調な変化を、オイラー法によるすべての量子計算の性質とは見なしません。
指数関数の積なら、近似でもユニタリ性を保てる
大きな問題ではH全体の指数関数を直接扱うことが難しく、Hを複数の項に分ける方法があります。各項がエルミートで、各項に掛ける時間や係数が実数なら、それぞれの指数関数はユニタリです。その積もユニタリなので、トロッター分解のように指数関数を組み合わせる近似は、理想的な演算ではノルムを保ちます。[1]
ただし、分けた項が互いに可換でなければ、その積は一般に目標の指数関数と一致しません。長さを変えずに回したとしても、回した向きや角度が目標と違う可能性は残ります。ノルムが保存されることから、目標の状態、観測量、元のHに対するエネルギーまで正確だとは結論できません。
また、「ユニタリ性を保つ」という説明は、指数関数の因子を正確に扱う数学上の性質です。古典計算の丸め誤差や、実機の雑音・制御誤差まで消えるという意味ではありません。今回のH=Xは単一の項なので、分解する必要のない説明用の模型です。表はオイラー更新の問題を切り分けるもので、トロッター法と実装費用を競わせた試験ではありません。
近似を選ぶときは、保存と精度を分けて確認する
計算方法を比較する際は、まず、閉じた系の実時間発展を扱っているかを確認します。そのうえで、正規化前のノルムを記録し、正規化で増減を隠していないかを調べます。次に、必要な測定確率や期待値について、正確に解ける小さな例や、より細かい時間刻みの結果と比較します。
この二段階には別々の役割があります。ノルムの検査は、更新が状態の大きさをどう扱うかを見るものです。刻みを変えた比較は、求める答えがどれほど安定しているかを見るものです。後者も一つの観測量だけなら状態全体を保証しないため、目的に合う比較対象を選びます。
本稿は陽的オイラー法とユニタリな指数演算の違いを説明したもので、すべての数値積分法を評価したものではありません。環境との散逸を含む開放系や、実時間ではない虚時間発展では、必要な保存条件が変わります。そうした計算へ、閉じた系の純粋状態に対するユニタリ性だけを合否基準として持ち込むことはできません。
出典
- Naomichi Hatano and Masuo Suzuki, Finding Exponential Product Formulas of Higher Orders, arXiv:math-ph/0506007v1(2005年6月2日)。第2節、式(22)・(23)と第2.1節。指数積による近似のノルム保存と一次近似の対比を参照。表1・図1とH=Xの数値例は、本稿の条件で行った独自の計算です。
