細胞の中を小さな温度計で測ろうとすると、温度計そのものの個体差が問題になります。二つの細胞で違う値が出ても、細胞の温度差なのか、使った粒子の性質の違いなのかを見分けにくいからです。
量子科学技術研究開発機構(QST)、千葉大学、東京科学大学、京都大学、Type-I Technologiesの研究チームは2026年10月7日、ナノダイヤモンド量子センサーの製造順序を変え、粒子ごとの測定値のばらつきを小さくした研究を発表しました。原論文はACS Nanoscience Auに掲載されています。
簡単にまとめると?
- 先に小さく砕く従来法に対し、センサーとして働く部分を形成してから酸化で粒子を小さくする方法を調べました。
- 論文の「55%向上」は単一粒子を測ったときのODMRコントラストの改善です。温度精度が一律55%向上したという意味ではありません。
- 培養細胞で温度に換算した読出しのばらつきも減少しました。ただし、その値は測定条件と計算方法を伴い、診断能力を示すものではありません。
温度を光で読むとき、粒子の個体差が紛れ込む
ダイヤモンドの炭素の一部を窒素が置き換え、その隣に炭素の抜けた場所がある構造を、NVセンターと呼びます。この部分に光とマイクロ波を当てると、電子のスピン状態に応じて蛍光の明るさが変わります。その変化から共鳴の位置を調べる方法が、光検出磁気共鳴(ODMR)です。
温度の読出しに使うのは、スピンのエネルギー差を周波数で表した零磁場分裂パラメーターDです。Dは温度によって変わりますが、結晶内のひずみなどにも影響されます。同じ温度に置いた粒子でもDの基準値が違えば、その差が温度差のように見えてしまいます。
例えば、同じ部屋に置いた二本の温度計のうち、片方だけ目盛りの基準がずれている状況を考えると分かりやすいでしょう。それぞれが温度変化によく反応しても、そのまま二地点の値を比べると基準のずれまで含まれます。ナノダイヤモンドでも、信号を読みやすくすることと、粒子同士で基準をそろえることの両方が必要です。
小さくしてから加工する順序を入れ替える
比較対象の従来法は、機械的に砕いてサイズをそろえたダイヤモンドに電子線照射や熱処理を行い、NVセンターを増やします。今回の方法では、より大きな粒子に先にNVセンターを形成し、その後、空気中で酸化させて小さくしました。論文では550℃の処理に続き、595℃で5時間45分の酸化を行っています。
狙いは、単に小さな粒を得ることではありません。表面付近の欠陥を減らしながら、内部のNVセンターを測定に使いやすい状態で残すことです。水中で測った粒径の中央値は新方式144nm、従来方式148nmと近く、同じ程度の大きさで性質を比較しています。これは水中での動きを基にした粒径であり、全粒子がその直径だったという意味ではありません。
単一粒子を一つずつ測る実験では、粒子間のDの標準偏差が0.86MHzから0.23MHzへ、約3.7分の1になりました。温度に反応する基準値が、粒子ごとにそろいやすくなった結果です。一方、スピンのコヒーレンス時間T2が明確に延びた結果ではなく、「量子状態が長持ちしたから改善した」とは説明できません。
「55%」と「0.7K」は何を表すのか
論文が55%向上と報告したのは、共焦点顕微鏡で単一粒子を測る連続波ODMRのコントラストです。共鳴に伴う蛍光の明るさの変化が、基準の明るさに対してどれほど大きいかを表します。変化が見やすくなれば共鳴を読み取りやすくなりますが、この割合をそのまま温度精度の改善率に置き換えることはできません。また、一粒の中には複数のNVセンターが含まれます。
細胞を用いた実験では、HeLa細胞をナノダイヤモンドとともに培養し、洗浄してから測定しました。論文には、意味の異なる二つの「0.7K」が出てきます。温度差としての1Kの幅は1℃の幅と同じですが、何の幅を数えているかが大切です。
- 一つの細胞の信号からDを推定するときの不確かさ:培養時の粒子濃度25μg/mL、取得時間6秒の条件で、温度換算の値は従来方式の約1.7Kから新方式の約0.7Kへ低下しました。比較した細胞数はそれぞれ128、168です。
- 細胞同士の読出しのばらつき:培養時濃度100μg/mLでは、従来方式1.2Kに対して新方式0.7Kでした。各測定回の平均値を差し引いた細胞ごとのDの偏差を集め、その標準偏差を温度に換算した値です。
前者は信号から値を当てはめる際の不確かさ、後者は測定回ごとの基準の違いを除いた後の細胞間の広がりです。どちらも、未知の細胞の絶対温度を常に±0.7℃で保証するという意味ではありません。濃度も細胞内に実際に入った粒子の濃度ではなく、培養時の条件です。
細胞を比べるための、材料側の改善
今回の成果は、センサーを大量に同じ基準で使う際に妨げとなる個体差を、製造方法から減らせると示した点にあります。信号の強さだけでなく、異なる粒子や細胞の値を比較できるかまで確かめた研究です。
この種のセンサーを選ぶ際には、「感度が上がった」という一語で判断せず、信号のコントラスト、粒子間の基準値のばらつき、細胞での読出しの不確かさを分けて見ると、改善された部分が分かります。今回の測定は培養したHeLa細胞などの条件に限られ、臨床診断の精度や量産工程の実用性まで実証したものではありません。生物学や医療への応用につなげるには、用途ごとの校正や条件の検証が引き続き必要です。
出典
- QSTほか、ナノダイヤモンド量子センサーに関する共同発表(2026年10月7日)
- Chihiro Suzukiほか「Spin-Uniform Nanodiamond Quantum Sensors for Reproducible Intracellular Thermometry」、ACS Nanoscience Au 6(5), 869–877(2026)。公開本文の製造条件、単一粒子測定、細胞での測定と図3・4を参照。
