理研、シリコン量子ビットの同時操作で生じる位相ずれを補正

淡い陶器の五つの円盤に、向きの異なる薄い曲面が立ち、共通の銅色のリボンが通る抽象画。共有信号で量子ビットごとの位相を調整する様子を表現。

量子ビットを一つずつ正確に動かせても、隣の量子ビットと同時に動かすと、同じ精度を保てるとは限りません。操作に使う信号が周囲にも届き、量子状態の進み方を少し変えてしまうからです。量子コンピューターを大きくするには、この同時操作の誤差を抑える必要があります。

理化学研究所を中心とする国際共同研究チームは2026年10月15日、一本のマイクロ波制御線を共有するシリコンのスピン量子ビットで、こうした位相のずれを補正する方法を発表しました。特定の3個を同時に操作した実験では、基本的な単一量子ビット操作の忠実度がそれぞれ99.99%を超えました。一方、5個を同時に動かすと精度は低下しています。成果を理解するには、良好な数字だけでなく、何を何個、どの速さで動かしたかを見ることが大切です。[1–3]

簡単にまとめると?

  • 一本のマイクロ波制御線で複数のシリコン量子ビットを動かす際、他の量子ビット向けの信号が生む位相ずれを調べ、制御信号で補正しました。
  • 操作時間250ナノ秒で、選んだ3個の基本ゲート忠実度は各99.99%超。5個同時では4個が99.9%超、残る1個は99.82%という推定値でした。
  • この忠実度は、繰り返し測定から求める一つの基本操作の精度です。計算全体の成功率や、誤り訂正を備えた量子コンピューターの完成を表す数字ではありません。

共通の信号線でも、隣の操作は無関係にならない

今回の量子ビットは、シリコン中の小さな閉じ込め領域「量子ドット」に置いた電子のスピンを使います。スピンの二つの状態とその重ね合わせで情報を表し、マイクロ波で状態を回転させて計算の基本操作を行います。

研究チームは、5個の量子ビットで制御用のマイクロ波線を共有しました。量子ビットごとに共鳴する周波数を変え、複数の周波数の信号を一本の線へ重ねることで、それぞれを選んで操作します。量子ビットが増えるたびに専用のマイクロ波線を増やす方式より、配線を減らせる可能性があります。ただし、電子を閉じ込める電極の電圧制御や読み出しなど、ほかの配線まで一本になったわけではありません。

周波数を分ければ干渉が消える、という単純な話でもありません。ある量子ビットを動かすための信号が別の量子ビットに届くと、共鳴して大きく回転させなくても、そのエネルギー差を一時的に変えることがあります。これが交流シュタルクシフトです。

エネルギー差が変わると、重ね合わせを構成する二つの状態の相対的な位相、つまり量子状態の進み具合にもずれが生じます。次の操作は、その位相を基準に行われます。単独で動かすときに調整した信号をそのまま使うと、同時操作では意図と違う向きへ回転してしまうのです。

二つずつ影響を測り、次のパルスへ補正を入れる

研究チームは、量子ビットの組ごとに「相手を動かすと、こちらにどれだけ位相がたまるか」を測りました。その影響を使って、後続のマイクロ波パルスの位相を調整します。複数の相手から受ける位相ずれを足し合わせる方法が、この装置では同時操作の補正に使えました。

この仕組みなら、動かす量子ビットのあらゆる組み合わせを一から調べる負担を減らせます。ただし、補正するのは位相だけではありません。回転量の誤差を抑えるため、パルスの振幅も調整しています。

信号の形にも工夫があります。急に立ち上がる四角いパルスには、狙った周波数以外の成分が広がります。研究では、カイザー窓という滑らかな形のパルスを使い、近隣の量子ビットを意図せず励起する成分を抑えました。こうした波形の整形と、位相・振幅の調整を組み合わせた結果です。[1]

99.99%は、何を測った数字なのか

論文で示した指標は、スピンの状態をX軸またはY軸のまわりに90度、すなわちπ/2だけ回す基本ゲートの忠実度です。「ゲート」はここでは計算の一操作を指します。忠実度が高いほど、理想的な操作に近いことを意味します。

測定にはランダム化ベンチマーキング(RB)を使いました。ランダムに組んだ操作列を実行し、列を長くしたときに測定結果がどう崩れるかを調べ、誤差の大きさを推定する方法です。各操作列の長さについて35種類のランダムな並びを用意し、それぞれ350回の単発測定を平均しています。論文では、複数の基本ゲートをまとめたクリフォード操作の忠実度から、平均3.25基本ゲートという分解に基づいて、一つの基本ゲートの忠実度を算出しています。

したがって、99.99%を「任意の計算が99.99%の確率で正解する」と読み替えることはできません。複数の量子ビットすべてが一緒に正しく動く確率でもなく、RBの測定と推定の条件に結び付いた各量子ビットの指標です。

操作条件 基本ゲート忠実度
各量子ビットを単独で操作 5個の推定値は99.9918〜99.9985%
Q2・Q3・Q4の3個を同時操作 99.9926%・99.9929%・99.9966%
5個を同時操作 Q1〜Q4は99.92〜99.977%、Q5は99.82%

すべて基本ゲートの操作時間250ナノ秒(0.25マイクロ秒)。原論文Extended Data Table 1の推定値を条件ごとに整理。推定の不確かさは省略しており、5個同時のQ5は原表では99.82(7)%と記載されています。[2]

3個同時の良好な結果にも、組み合わせの条件があります。別のQ1・Q3・Q5という組では、Q5の推定値は99.983%でした。「どの3個でも99.99%を超える」という結果ではありません。

5個同時では、単独操作より誤差が増えます。速く動かすためにマイクロ波の電力を上げると量子状態の乱れが問題になり、ゆっくり動かすと位相の乱れにさらされる時間が長くなります。論文は、この二つの影響が操作時間の選択を制約すると説明しています。時間を500ナノ秒へ延ばした測定でも、すべての量子ビットが一様に改善したわけではありません。[1、2]

大規模化へ向けた制御の一歩、その先に残る課題

今回の成果で注目したいのは、信号線を共有したまま、同時操作で生じるずれを測定し、補正へ結び付けた点です。単独操作の最高精度だけでなく、並列に動かした際の変化と調整方法が示されました。多くの量子ビットを持つ装置では、一本ずつの配線の負担に加え、調整にかかる手間も大きな問題になるためです。

ただし、量子計算には二つの量子ビットを結び付ける操作も必要です。今回の装置では、その一種であるCZゲートの忠実度が97%未満に制限されるとMethodsに記されています。単一量子ビット操作の高い精度だけで、誤り訂正を備えた計算機の実用性まで証明したことにはなりません。

論文が議論する、より多くの量子ビットを共有線で動かす構想も今後の展望です。実験で示した5個の同時操作、条件を選んだ3個での高い忠実度、さらに大きな装置への見通しを分けて読むと、この研究が解いた課題と、次に改善すべき点が見えてきます。

出典

  1. Yi-Hsien Wuほか「Simultaneous high-fidelity single-qubit gates in a spin qubit array」Nature Physics、2026年10月15日。本文、Fig. 3–5、Methodsを参照。DOI: 10.1038/s41567-026-03466-2。
  2. 同論文「Extended Data Table 1: Overview of measured primitive gate fidelities」。量子ビットの組み合わせ、操作時間、忠実度の詳細。同じ実験の補足資料です。
  3. 理化学研究所「シリコン量子ビットの同時高精度操作を実現」。上記論文を説明する公式発表。独立した別実験ではありません。