測定した瞬間までの記録だけを使うか、その後に得た記録も使って振り返るか。同じ量子実験でも、推定できる状態の細かさは変わります。あとから届いた情報が、それまで見えていなかった変化を説明する手掛かりになるためです。
理化学研究所、ニューサウスウェールズ大学などの共同研究チームは、光共振器内の量子状態を「量子状態スムージング」で推定する実験を報告しました。論文は2026年10月21日にnpj Quantum Informationで早期公開されています。測定対象の時刻より前と後の記録を合わせることで、従来の推定よりも混合の少ない状態を見積もり、光の揺らぎの小ささも一部回復できることを示しました。[1]
簡単にまとめると?
- 光共振器から出る光を二つの検出器へ分け、一方の測定記録を使って共振器内の状態を推定しました。推定対象の時刻より後の記録も使うのが、量子状態スムージングです。
- 回復できる純度の差の10.3±1.6%、条件付きのスクイージングの差の7.6±2.6%を回復したと報告しています。純度そのものが10.3%増えた、という数字ではありません。
- 結果は検出効率、測る光の成分、環境側の測定方法を知っていることに依存します。記録を振り返れる処理の実証で、量子計算全体の高速化やリアルタイム制御の改善は今後の課題です。
後から分かったことを、過去の状態の推定に使う
時刻を追いながら測定記録を取り込み、その時点の状態を推定する方法を「フィルタリング」と呼びます。直前までの情報で判断できるので、測定結果をすぐ制御へ戻すときに向いています。
一方、実験が終わったあとなら、知りたい時刻より後の記録も使えます。たとえば、ある時刻の測定値だけでは揺らぎの一部か、状態が動き始めた兆候か区別しにくくても、その後の記録まで見ると推定を絞れる場合があります。前後の情報を使って状態を見積もるのがスムージングです。ここでいう「後の情報」は、記録を解析する時点ではすでに取得済みのものです。
量子状態では、古典的な信号の平滑化をそのまま適用するだけでは足りません。環境へ流れた情報がどのように測定されたかによって、条件付きの量子状態が変わるからです。今回の方法も、見えていない側の測定方法を知っていることを前提にしています。[1]
二つの検出器で、推定する側と比較する側を分ける
研究チームが使ったのは、光を共振器内で循環させ、非線形結晶を通じて光の量子的な揺らぎを変える光パラメトリック発振器(OPO)です。共振器から出てきた光を分け、二つのホモダイン検出器で測りました。ホモダイン検出は、基準となる光と重ね合わせて、光の電場の特定の成分を読む方法です。
論文では、推定を行う側をAlice、もう一方をBobと呼びます。Aliceは自分の検出記録を持っていますが、Bobの記録は使えません。Bobがどの成分を測ったかという設定は分かっています。この条件で、Aliceの過去の記録だけを使う推定と、前後の記録を使う推定を比べました。
比較の基準には、AliceとBobの両方の記録を使って求めた状態を置きます。論文はこれを「True state」と呼びますが、損失のない完全な状態を直接取り出したものではありません。検出効率は二つを合わせて約86%で、残る損失もモデルに含めています。どの情報を使った推定なのかを分けることが、この実験を読む出発点です。[1、2]
10.3%が表すのは、回復できる差のうち取り戻した割合
一つ目の指標は「純度」です。1に近いほど混合の少ない量子状態を表します。今回の実験では、スムージングによる純度の最大の改善量は0.016±0.003でした。これを、両方の記録を使った基準状態の純度と、過去だけの記録による純度との差で割ると、10.3±1.6%になります。
たとえば、基準までに埋められる差を100と見立てたとき、そのうち約10を埋めた、という読み方です。純度の値そのものを10.3%引き上げたことや、完全な純粋状態に戻せたことを意味しません。
もう一つは「スクイージング」です。光の電場のある成分について、量子的な揺らぎを真空の基準より小さくした状態を指します。論文は、真空の揺らぎを1とする規格化された分散で、最大0.006±0.002の改善を報告しています。これも基準状態までに回復できる差と比べた値が7.6±2.6%です。0.006はデシベルの改善量ではありません。[1]
| 報告された割合 | 何に対する割合か |
|---|---|
| 純度の回復:10.3±1.6% | 基準状態と、過去の記録だけによる推定との純度の差 |
| スクイージングの回復:7.6±2.6% | 過去の記録だけによる推定と、基準状態との最も揺らぎが小さい成分の分散の差 |
原論文のFig. 5に対応する測定。Alice側の検出効率を0.43に固定し、両側の測定角度を変えて調べた最大回復量とその割合です。二つの指標が最適になる測定条件を、一つの同じ設定だとみなすことはできません。[1]
見積もりが良くなったかも、別の指標で確かめる
推定した状態の純度が高いだけでは、比較の基準に近づいたとは言い切れません。そこで研究チームは、推定状態と基準状態のずれを数値化する、トレース二乗偏差(TrSD)の平均も計算しています。これは、量子状態を表す行列同士の差から求める指標です。今回の測定では、スムージングの推定がフィルタリングより基準に近いことを、この指標でも確かめました。
この検証にも、装置を表す理論モデルを使っています。純度やスクイージングを求める際は、観測記録から得た平均値の差と、理論から計算した基準状態の共分散を組み合わせています。測定値だけで量子状態のすべてを直接決定したわけではなく、モデルと測定の整合性を含めて評価する結果です。
装置の駆動条件は規格化ポンプ振幅0.70で、共振器の共鳴幅の半値半幅は5.0 MHzです。検出効率を変える測定では、測定角度をAlice側65度、Bob側135度に固定し、50マイクロ秒の記録を条件ごとに600回取得しました。一方、回復量の角度依存性を調べた測定は10ミリ秒の記録を30回取得し、Bob側の角度を1度ごとに分けて解析しています。同じ実験の中でも、図ごとに取得条件が異なります。[1、2]
Alice側の検出効率が高くなり、ほぼすべての観測可能な情報を自分で得られると、後の記録を追加する利点は小さくなりました。また、純度を最大にする測り方と、スクイージングを最大にする測り方は一致するとは限りません。何を改善したいのかによって、測定設定を選ぶ必要があります。
記録を振り返れる量子処理への手掛かり
この成果は、測定後に残る記録を使って、量子状態の見積もりをより良くできることを示しています。研究チームは、測定記録を蓄積する量子情報処理への応用を挙げていますが、量子計算の性能向上を装置上で示した段階ではありません。
実験は線形ガウス系として扱えるOPOと、設定を把握した二つの検出経路で行われました。環境の測定方法が分からない場合や、記録がそろう前に制御しなければならない用途に、同じ改善率をそのまま当てはめることはできません。論文のデータとコードも公開配布はされておらず、著者への合理的な依頼で提供するとされています。
早期公開された採択論文は、今後最終版へ置き換わる予定です。今回の数値はその版の測定条件に基づいています。注目したいのは、後から増えた情報を使うことで、どの時刻のどの状態を、どこまで確かに推定できるのかを実験で比べた点です。
出典
- Shota Yokoyamaほか「Quantum state smoothing for tracking optical quantum dynamics and recovering purity and squeezing」npj Quantum Information、2026年10月21日早期公開。DOI: 10.1038/s41534-026-01390-0。Article in Pressの本文、Fig. 1・4–6、Methodsを参照。
- 同論文のSupplementary Information。測定装置、検出効率、取得条件を参照。同じ研究の補足資料です。
